2471 戦前から体質が変わっていない 加瀬英明

もう二十年以上前のことになるが、日本新聞協会の標語に、「新聞が守る何でもいえる国」というものがあった。
今日でも、これは嘘である。航空自衛隊の田母神俊雄幕僚長が「日本は侵略国家ではなかった」と主張する論文を、個人の責任において発表したところ、政府の公式見解と異なるものとして罷免された。新聞もテレビも、田母神空幕長が解任されたことに対して批判する声を、まったく取りあげることをしなかった。
その一ヶ月前には、中山成彬国土交通相が「成田はゴネ得」、「日本は単一民族」、「日教組を解体」と発言したために、麻生首相が「発言はきわめて不適切」だったと述べて、就任早々に辞任することを強いられた。
中山氏は今日の永田町には珍しい、信念の政治家だった。国会において珠玉のように、輝いている存在だった。
中山氏の発言は、多くの国民が胸の奥底で感じていることを、語ったものだった。麻生首相は「中山大臣が提起した重要な疑問について、国会で議論を尽してほしい」と、述べるべきだったと思う。
私は麻生首相が「戦う内閣」を率いて、登場することを期待していたから落胆した。
中山氏のような得難い人材が失言したといって、内閣から追われたのは残念なことだった。もし、国会が議論を尽したうえで、その意志として、中山氏が不適切な発言を行ったと判断したのであれば、更迭されても仕方がなかっただろう。
これまで歴代の内閣が保身のために、国家にとってきわめて重要な問題であっても、波風をたてないように、論じるのを避けてきたことが、戦後日本の宿痾をいっそう癒し難いものとして、国家が備えているべき活力を奪ってきた。
どのような問題であれ、臆することなく論議するべきなのだ。そうすることがないために、日本は国家としての逞しさを失っている。
戦後すでに六十三年がたったというのに、欠陥憲法を戴いていることはもとより、国連がすべての加盟国に国権の発動として認めている、集団自衛権の行使を禁じている憲法解釈であれ、学校教育が混乱して少年男女の学力が諸国に比較して大きく低下していることであれ、道徳教育を疎かにしてきたことなど、日本が患っている疫病をあげてゆけば枚挙に遑(いとま)がない。不治の病なのだろうか。
戦前に戻れば、新聞が自らつくりだした世論に媚びて、白昼、犬養毅首相を首相官邸で射殺した、五・一五事件の青年将校を擁護したり、満州事変が起こると、戦争を部数を拡大する好機としてとらえて、軍国熱をさかんに煽ったことが、国を滅した。
中山氏の発言を封じたのは、昭和十年に美濃部達吉博士の天皇を法人としてみる天皇機関説が、議会で政治問題化した後や、昭和十五年の斉藤隆夫代議士の反軍演説をはじめとして、正論を封じたのと変わりがない。日本国民はあの惨憺たる敗戦から、学ぶことがなかったのではないか。
戦前も戦後も、日本国民の多くがはっきりとした自分の考えをもつことがなく、流れに身を預けようとするために、得体が知れない、安易なコンセンサスに従おうとする力が強く働いてきた。
戦前では過剰な神国思想や、軍国思想のように、得体も分からないものがコンセンサスとして権威をふるって横行したために、日本が漂流した。そして、難破した。
これは国民のほとんどが成熟した自己を持っていなかったことから、起こった。中途半端な自我形成しか行われていないために、多くの日本人にとって自我の中心が自分のなかにあるよりも、集団のなかにある。
自分を一人ぼっちの人間として意識することがなく、自分が属する集団の部分としてみるから、しっかりした自己を確立することがない。今日でいえば、日本国憲法の不条理な平和主義が、得体が知れないコンセンサスに当たる。
戦前の日本を滅ぼしたのが、過激な軍国主義だったとしたら、戦後の日本を滅ぼすのが過激な平和主義である。二つとも、現実から大きく遊離していた。
憲法をとれば、保守派は口を開けば、押しつけたアメリカが悪いというが、講和条約によって独立を回復してから、五十年以上が経っている。したがって、日本国民がつくった――自分のものとした日本の憲法というべきである。
一時の狂熱に憑かれたアメリカよりも、半世紀以上にわたって、重大な欠陥がある憲法を改めることができない日本国民のほうが、罪がはるかに重い。私たちは占領軍を格好な免罪符としてきたが、そうしてはなるまい。
それにしても、年を追うごとに政治家が軽くなった。それはテレビ番組が楽しくなければならないというのと、まったく同じ発想で、政治家も国民も政治が楽しくなければならないと、思うようになったからだ。政治が低俗な興行化したためであって、政治を生業にする人々の責任よりも、国民のほうにより大きな咎があると思う。
成田空港が開港したのは、昭和五十三年だった。それから三十年も経ているのに、地権者が譲ることを拒んでいるために、地権者の所有地が空港予定地に大きく食い込んでおり、いまだに完成していない。そのために日本の玄関口であるべき成田空港は、アジアにおける熾烈な空港競争に、大きな遅れをとってしまっている。
このような状況は、国と地権者のあいだに生じた痼(しこり)によってもたらされたのであって、地権者が買収価格をあげようとして、三十年にわたってごねているとは考えにくい。それならば、国会か、公開の場における論戦を通じて、明らかにしてほしかった。中山氏の口を封じたのは、狂気に駆られた海軍将校が、「まあ話を聞きなさい」とたしなめた犬養首相に対して、「問答無用。撃て」と金切り声をあげたのと、変わらなかった。
少年男女の教育は、国の大事である。日教組が知的に破産したマルキシズムを信奉して、児童の教育よりも、反体制の政治闘争に血道をあげて、組合員の待遇改善を優先させてきたのは、周知のことである。
そのために、伝統的な生活文化が培ってきた徳目を疎かにして、子供たちを躾けることを怠ってきた。道徳教育を白眼視したために、凶悪犯罪が増えた。また、日教組は教員を労働者と位置づけて、労働量を軽減するために、授業時間を短縮する「ゆとり教育」を推進した。「ゆとり教育」は惨憺たる失敗だった。当然のことに学力の低下を招いたために、見直されるようになった。
中山氏の「日本は単一民族」という発言は、正しい。日本は多民族国家ではない。もっとも日本人は朝鮮民族と異なって、南方系や、大陸系の血が混じった雑種民族であって、同じ日本人であっても骨格や、顔つきに、大きな差異がある。
アイヌ民族の人口は平成十六年に北海道庁が実施した「ウタリ生活実態調査」によれば、二万三千七百八十二人だった。北海道ウタリ協会によれば、全国的な調査が行われていないので総数が掴めないが、東京在住のアイヌ推定人口を二千七百人と見積もっている。おそらく全国に三万人弱のアイヌ民族が、生活しているとみられる。
他方、昭和二十七年から平成十五年までのあいだに帰化した韓国、朝鮮人の総数は二十九万六千百六十三人であり、その後も、毎年、一万人以上が帰化しているから、アイヌ民族の十倍以上に達している。
アイヌ民族も日本国籍を持った日本人であることに変わりない。どうして、日本人として扱ってはならないのか。
もしアイヌ民族を異民族としてみなすのならば、帰化した韓国人も、朝鮮人も、台湾人も、中国人、フィリピン人、インド人、ネパール人、カンボジア人、チベット人なども、異民族として同じように遇するべきであろう。日本国籍を持っている韓国、朝鮮人や、中国人も、川崎のコリアタウンや、横浜の中華街にみられるように、多分に固有な民族文化を保って生活している。
民主主義は自由で闊達な議論が行われることによって、はじめて機能する。タブーをつくることによって、思考を停止させて、議論を圧殺してはならない。戦前通ってきた破滅の道を、懲りることなく歩んでいるようで、背筋が凍る思いがする。
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