田母神(たもがみ)俊雄・前空幕長が民間企業主催の論文募集に応じ、これが最優秀賞となったことから、一大政治問題に発展した。筆者はこの選考過程に加わった当事者の1人でもあり、あちこちでこの件を書いたり、取材するはずの側が取材される立場になったりと、なんともあわただしい。
重複を承知で、やはりこの「田母神論文」騒ぎに触れておかなくてはなるまい。田母神氏の論文は「日本は侵略国家であったのか」というものであった。このコラムのタイトル「我々の国家はどこに向かっているのか」を考えるためにも、今回の騒動は格好の示唆を与えてくれるように思われる。
そこで、まだこの論文をお読みでない方はぜひ一読されることをお勧めしたい。ここからPDFファイルで見ることができる(アパグループ第1回「真の近現代史観」懸賞論文募集)
http://www.apa.co.jp/book_report/index.html
これによって、田母神氏は空幕長を更迭され、空将の定年退職年齢に達していたため、これが適用されて民間人となった。田母神氏が辞表を提出せず、防衛省も懲戒免職を避けて早期決着をはかったというところがポイントである。懲戒の対象になるのかどうかがはっきりせず、田母神氏が聴取の場で反論したら収拾がつかなくなる。
とはいえ、現職の自衛隊トップがこれまでの政府見解に背反するような内容の論文を公表したのだから、麻生首相は「立場上、きわめて不適切」と批判し、浜田防衛相らは監督不十分で給与返上などの処分を受けることになった。
☆審査は筆者名を伏せて進んだ
田母神氏の論文が最優秀賞となった経緯、これが政治の現実にもたらした影響とその背景、そもそも田母神氏は何を主張しようとしたのか、といったあたりを筆者なりの感覚でとりあえず総括してみたい。
この件はいまだ進行中であって、国会審議の焦点に一躍浮上した。解散時期を巡る攻防戦に新たなテーマが飛び込んだのである。
論文募集を行ったのは、全国にホテル・マンションを展開するアパグループ代表の元谷外志雄氏である。石川県で小さな不動産屋から身を起こしたサクセスストーリーの持ち主だ。
夫人の芙美子氏はホテル部門の代表で「帽子の女性社長」で知られる。ちなみにAPAは「Always Pleasant Amenity」の頭文字を取って名づけたものだ。
元谷氏は本業のかたわら「Apple Town」という雑誌を発行、「藤誠志」のペンネームで硬派の主張を重ねてきた。毎月、政財界やジャーナリズムなどから数人を私邸に招いて懇談会を開き、その模様を「Apple Town」に掲載してきた。
筆者はその会に招かれたことが縁だ。元谷氏は、小松基地友の会の会長として地元の自衛隊応援団のリーダー格であり、小松基地に勤務経験のある田母神氏との親交もそこから始まった。
この5月、元谷氏はこれまで書きためたものをまとめて「報道されない近現代史」という著書を刊行、そこから今回の論文募集の話がスタートした。社会還元活動の一環として総額500万円を投じた。
筆者は渡部昇一氏を委員長とする審査委員(4人)の一員に指名された。ボランティアである。新聞や雑誌に告知広告は出したものの、「真の近現代史観」という重いテーマだったため、どの程度集まるのか不安だったが、結果的に235点の応募があった。
このうち、社内で二十数点に絞り、筆者名を削除してCDに収録したものが、まず送られてきた。手書きのものもあって、読み込むのは大変な労力を必要としたが、これを踏まえて、2回の審査委員会が開かれ、応募作品の得点が集計されていき、最終段階で初めて筆者名が明らかにされた。
高得点となったのが、田母神氏の論文であった。元谷氏が論文を出すよう求めたのではなく、一般の応募と同じように送られてきたため、驚いたという。元谷氏が田母神氏の意向を再確認して最優秀賞に決まった。これが経緯である。
☆公務員として「脇の甘さ」はあるが‥‥
いま思うと、そのとき、筆者は「これは大変なことになる」と直感した。内容は正論であっても、現職の自衛隊トップが書いたとなれば、ただでは済まない。政治取材の経験からとっさにそう思ったのだが、その時点で田母神氏に受賞辞退を申し入れるなどという失敬なことはできない。
田母神氏はそれなりの覚悟を持って書いたのである。田母神氏自身もその後の記者会見で述べていたが、もうこういう論議が許される時代になったのではないかという期待感もあった。
だが、そうはいかなかった。その後の展開は周知の通りである。30年前の故栗栖弘臣・統幕議長(当時)が自衛隊法の欠陥を指摘した「超法規発言」の再現といえた。
この騒ぎによって、麻生政権は厄介な問題を背負い込むことになり、防衛省にも多大な迷惑をかけた。そうしたことを考えれば、田母神氏の公務員としての「脇の甘さ」を非難するのはたやすい。
だが、ここは田母神氏が訴えたかったことに真摯(しんし)に向かい合いたいと思う。
田母神氏の論文は一言で言えば、いつまでも「自虐史観」「東京裁判史観」にとらわれているような実態から脱却して、先の戦争をもっと多面的に見つめなおそうではないか、日本が悪逆非道なことばかりしてきたとされるような一面的な歴史観を克服しようではないか、といった点に尽きる。これは既に保守系論客の多くが主張してきたことであった。
論文の中で使われている歴史的事実などに異論をさしはさむ向きはある。正直いって、審査の過程でもそのことは話題になった。だが、総体として、田母神氏が真っ向から「日本は侵略国家の濡れ衣を着せられている」と問いかけたことを重視したのであった。
☆かくして政治攻防の格好の材料に
「村山談話」で日本は過去の「侵略」を反省し、謝罪の意思を表明した。これもあらゆる場面で重ねてきたことなのだが、半世紀以上も前のことをいまだに謝罪し続けている国など、世界のどこにもない。
戦争というのは、開戦に至る過程で、国家としての判断、主権の尊厳など、あらゆる要素が存在するのであって、「侵略戦争」の一言で片付けられるものではない。要は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた「東京裁判」の呪縛から解き放たれていないということではないか。
「村山談話」は、あれを出さなかったら中国、韓国がおさまらないという状況下の政治的産物であった。今回、中国も韓国も、想像以上に抑制された反応である。
だが日本の一部メディアのヒステリックな反応はどう理解すればいいのか。朝日新聞の社説は「ぞっとする自衛官の暴走」という見出しであった。
国家の過去をことさらあしざまに言いつのる状況がいつまでも続いていていいはずはない。歴史は見る視点によってさまざまに解釈されていいのではないか。朝鮮半島や台湾などで、日本があの当時、インフラ整備や教育環境の充実などに努力したことはまぎれもない事実なのだ。
田母神氏はそうした呪縛によって、いまだに集団的自衛権の行使が容認されない、自衛隊の武器使用も制約されている、といった安全保障体制の不備を指摘したのである。さらに、日本の伝統や文化を見直し、日本人としての誇りを取り戻そうと呼びかけたのが趣旨である。
審査対象となった論文の中には、いかにも学術論文スタイルのものや、自身の戦争体験を手記風につづったものなどもあった。審査する側としては、田母神氏の論文はすっと素直に読むことができて、「国家や国民への思い」があふれた内容を高く評価したのだが、政治の世界や一部メディアはこれを許さなかった。
だが、そこは政治である。野党にとっては、審議引き延ばしの批判をかわすための格好の材料が飛び込んできたのである。自民、民主を問わず、田母神論文に理解を示す議員も多いのだが、それはうかつに表には出せない。
かくして、田母神氏の論文は解散攻防の中でもみくちゃにされることになる。野党側は田母神氏の国会招致を求めているが、民間人になったのだから、もう何を言っても平気だ。これが実現したらおもしろいことになるとひそかに期待している。
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2474 田母神論文が最優秀賞になった経緯 花岡信昭

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