田母神空幕長が投じた論文が麻生政権の方針に反するとして更迭された問題について私は異論がなかったので発言しないできたが、自衛隊に言論の自由があるべきだという論が出てきたので黙っていられなくなった。
自衛隊は日本国憲法に保証されていない。昔流に揶揄すれば「妾の子」である。また憲法は第9条で武力行使を禁じているから、自衛隊は戦意なき軍隊。戦うことの無い軍隊。インポテンツである。
戦意、戦場なき軍隊は戦死することもないはず。そのように遊びの集団だったら言論の自由が許されてもいいだろう。田母神氏も、そんな雰囲気の中で、つい、政府に対して行なった入隊時の「宣誓」を忘れてしまったらしい。
この点について防衛省で官房長、防衛施設庁長官などを歴任した宝珠山昇(ほうしゅやま・のぼる)氏の所信(花岡信昭メールマガジン 08・1112号)は田母神氏を厳しく批判している。宝珠山氏自身、「談話」を出した「総理が阿呆だから」が失言となり退職に追い込まれた人である。その人が今度の処分を支持しているのだ。
防衛省、自衛隊の幹部としての基本的姿勢のあり方を説いたものだ。「田母神問題」をめぐる主宰者の立場と同様、その真摯なお考えは傾聴に値する。
<「法令順守」は自衛隊の生命
【要旨】法令順守即ち規律の順守と命令に対する服従は自衛隊の生命である。田母神氏は自衛隊の最高指導者群に列しながらこれに違う行為をした。これを慫慂するが如き論議は国益を著しく損なう。
自衛隊は、高度な部隊行動能力を身につけて初めて任務を遂行できる組織体である。隊員は規律厳守の義務〔法令(憲法、法律、政令、各種規則、極秘のマニュアルなどを含む)を順守し、命令に服従する〕を負わされている。旧日本軍は、重い刑罰を科すことができる軍事特別裁判所を運用し、厳しい教育訓練、厚い処遇などによって、高い規律を確保していた。
日本国憲法は、特別裁判所の設置を認めていない(第76条第2項)。このため、防衛省・自衛隊は、隊員(文官を含む)に任命するとき、「宣誓書」(後記参照)に署名する契約を結ぶことによって規律を保持することにしている。規律違反に対する罰則は、他の公務員等より重いものとなっているが、旧軍刑法や諸外国の例には及ばない。処遇は一般公務員に準じている。
緊急事態において、一致団結、規律を厳守し、任務を遂行できるように指揮・指導・訓練するのが、各段階における部隊の指揮官・部隊長、これを補佐する幕僚の責務である。
自衛隊員の宣誓「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」(根拠法令:自衛隊法第52条及び53条及び自衛隊法施行規則第39条)
田母神氏は、これを率先垂範すべき最高指導者群に列しながら、自衛官に任官するとき署名した「宣誓」、即ち、国との契約に反した行動を取るという大きな誤りを犯したのである。
その1つは、自衛隊員が職務に関連する意見などを公表するときには文書をもって承認を得ることとされている内部規律を、周辺の諫言をも無視して、守らなかったことである。
これは、それがいかに軽度なものであれ、最高指導者としては「脇が甘かった」、「手続きミス」等では済ませられない、重大な失態、自覚不足といわざるを得ない。仮にこれが下部組織に蔓延すれば、自衛隊は任務を達成できなくなるのみならず、旧帝国軍と同じ道に進む危険性をも孕むものである。
2つ目の反則は、反政府言動とも解される恐れのある主張を公表したことである。これは悪意に解すれば反体制行動を扇動するものともなるもの。
その影響は、意図するにしろしないにしろ、階級社会であればあるほど、発言者の地位が上がれば上がるほど、閉鎖社会であればあるほど、大きくなるものである。彼は国の武力集団の指導者としての自覚・自制を欠いていたことになる。
言うまでもなく、「自虐史観」、「東京裁判史観」、「村山談話」等への批判を展開し、日本の独立度の向上を図ることは自由であり、小生も歓迎している者の一人である。
しかし、これが武力集団の構成員である自衛官を宣誓や規律違反も恐れない行動に誘導・扇動することとなれば、著しく国益を害する。論者がこの点に関しても配慮されることを希望・期待する。(2008.11.11:宝珠山 昇 記)>
麻生太郎首相は2008年10月2日の衆院本会議で、日本の過去に対する反省と謝罪を明確にした平成7年の村山富市首相談話への認識を問われ、「いわゆる村山談話と平成17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」と述べた。
社民党の重野安正幹事長が「『村山談話』を受け継ぐか」と質問したのに答えた。政府が3年前に閣議決定し、小泉首相(当時)が戦後60年を迎えるに当たり出した「小泉談話」は、村山談話の内容を踏襲しつつ、「国策を誤り」「国民を存亡の危機に陥れ」との表現を避け、アジアとの「未来志向の協力関係」に力点を置いていた。
村山談話は、「村山」と個人名を冠して呼称されることが多いが、閣議決定を経た談話であり、村山個人の私的な見解ではなく、当時の政府公式見解である。
政権の主が日本社会党党首であったにしろ、自民党とのれっきとした連立であったのだから、自民党も責任を負うべき談話である。当時、日本を取り巻くアジア情勢が如何なる状況であったにしろ、綸言汗の如し。総理が一度口にした言葉は取り消しが利かないのである。
したがって田母神発言を支持する人たちが非難すべきは村山談話ではあっても防衛省の問題処理方法であってはならない。これら大方の論は感情に流れ「法令遵守」「宣誓」「契約遵守」と言った問題の「ハード」部分を無視した誤謬である。
1995年8月15日の戦後50周年記念式典において、村山首相(当時)は「閣議決定」に基づき、日本が戦前、戦中に行ったとされる「侵略」や「植民地支配」について公式に謝罪した。この『戦後50周年の終戦記念日にあたって』と題する談話(「村山談話」)は日本国政府の公式歴史見解として扱われており、歴代政権に引き継がれている。
小泉内閣においては、2005年8月15日に小泉純一郎が村山談話を踏襲した「小泉談話」を発表した。安倍内閣においても、2006年10月5日に安倍晋三が「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」「国として示した通りであると、私は考えている」と語り、政府として個人として村山談話を受け継いで行く姿勢を見せている。
これ以後も保守系議員などにより村山談話とは見解を異にする内容のコメントが発せられ、その度に中国、韓国の政府から反発が起きた。
「日本は戦後、戦時中におこなったとされる侵略行為については当事国に公式に謝罪し補償も済ませているのでこれ以上の謝罪論は不要である」との批判がある一方、逆に「この談話は結局のところ『戦争に日本政府は巻き込まれた。悪いとは思うが仕方がなかった』という立場を表すに過ぎない」との批判もある。
なお、村山談話の中では、日本は「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」とされている。この表現に対し、村山は「戦争が終わった時点で国内的にも国際的にも(昭和)天皇の責任は問われていない。
談話の『国策を誤った』ということをもって(先帝)陛下の責任を云々するつもりはない」と述べており、村山談話は昭和天皇の戦争責任を追及するものではないと明確に示している。
さらに、具体的にどの内閣の誰が「国策を誤」ったのかについては、「どの時期かについて断言的に言うのは適当ではない」と述べており、どの内閣に責任があるのかについても明示はされていない。参考『ウィキペディア』
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2486 宝珠山元長官の正論 渡部亮次郎

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