2499 麻生ビジョン「自由と繁栄の弧」(2) 伊勢雅臣

■5.我が国の3つの役割■
「自由と繁栄の弧」の実現に向けて、我が国はいかなる役割を果たせるのか。麻生首相は以下の3点を挙げる。
第一はアジアの中での「実践的先駆者」であること。政治・経済体制の近代化、民主主義の定着や公害の克服など、これから多くの国々が直面しなければならない問題に、我が国はアジアで最初に取り組み、幾多の失敗を乗り越えつつ、成功してきた。民主主義や人権というと、欧米の専売特許のように考える人が多いが、日本はアジア最初の近代憲法制定以来、すでに120年の歴史を持つ古手である。
第二に、安全保障面での自衛隊と日米同盟、経済面でのODA(政府開発援助)等によって、我が国は「安定装置」の役割を果たしている。
経済力については、中国を含めた東アジアから、インドなど南アジアまで合算しても、日本のGDPの90%にしかならない。1998年から99年にかけて、アジア諸国は軒並み通貨危機に襲われたが、日本は不況のただ中にもかかわらず2兆円規模の支援を行って、危機克服を支援した。
また我が海上自衛隊は海軍力としては世界第6位と評価されており、1位の米国との日米同盟によって太平洋からインド洋までの安全が保たれている。
第三に、以上の卓越した経験と力を持っているにも関わらず、我が国はアジア各国と「対等な仲間」としての交流を積み重ねてきた。イラクを支援した自衛隊がサマーワの人々に中に溶け込み、地元新聞から「『古きニッポン』の子孫として愛情と倫理に溢れた人々」と絶賛されたのが、その一例である。
■6.すでに豊富な支援実績■
この3つの役割において、我が国はすでに多くの支援実績を上げている。
アフガニスタンでは、元兵士の社会復帰を助けるために、職業訓練センターを9カ所、設立した。サウジアラビアでは自動車整備を教える自動車技術高等研修所、トルコでは自動制御技術教育改善プロジェクトを進めるなど、人作りに重点をおいた支援活動を行っている。
「自由と繁栄の弧」のさらに西側には、東欧諸国がある。1990(平成2)年1月、東西を隔てていた壁が崩れたばかりのベルリンへ行った海部俊樹首相は、ポーランド、ハンガリーに総額19億5千万ドル、日本円にして2800億円以上に上る支援策を発表し、実行した。支援の一環として、両国からその後の12年間で13百人以上の研修生を受け入れ、市場経済化のための人材育成に貢献している。
ボスニア・ヘルツェゴビナでも、95年に紛争が終わるや、米国に次ぐ5億ドルもの金額を援助し、平和の定着、市場経済化、環境の3つの分野で支援を行った。「何で日本がそこまで」とかえって不思議がられたそうだが、現在では「一番実のある支援をしてくれたのは、結局日本だった」と言われている由。
■7.ニューデリーの地下鉄にて■
3つ役割は、おもに日本政府を通じてなされるが、実際に支援を行うのは、一人一人の日本人である。
平成17(2005)年の暮れに、麻生氏が外務大臣としてインドを訪問した際、首都ニューデリーに完成したばかりの地下鉄を視察した。これは日本のODAを使って建設されたもので、駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということが大きな字で書いてあった。改札口にも大きな円グラフで「建設費の約70パーセントが日本の援助である」ことが、表示されていた。
その配慮に感激した麻生氏が、地下鉄公団の総裁にお礼を言うと、総裁は次のような話をしてくれた。
自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の8時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。我々インドの技術者は、全員揃うのにそれから10分以上かかった。日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。自分が全員揃ったと報告すると、「8時集合ということは8時から作業ができるようにするのが当たり前」といわれた。
悔しいので翌日7時45分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。決められた工程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明された。
■8.「日本の文化そのものが最大のプレゼントだった」■
日本人技術者たちの姿勢は、インド人の姿勢を変えていった。
いつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった。これだけ大きなプロジェクトが予定よりも2か月半も早く完成した。もちろん、そんなことはインドで初めてのことだ。翌日からは運行担当の人がやってきた。彼らが手にしていたのはストップウォッチ。これで地下鉄を時間通りに運行するように言われた。秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた。その結果、数時間遅れも日常茶飯事であるインドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で正確に運行されている。これは凄いことだ。
我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバッサダー(最高の大使)」と呼んでいる。
自由の前提はルールを守ることであり、繁栄の前提は労働を美徳とすることだ。そのような価値観を身につけた国民が「自由と繁栄」を勝ち得る。
ODAに従事する技術者、PKOで派遣された自衛隊諸士、NPOのボランティアたちが、相手国の国民の中に入っていって身をもって、これらの価値観を伝えている。こうした人作りこそ「自由と繁栄」のインフラなのである。
■9.「新しい日本人像」■
「自由と繁栄の弧」へ向けて、相手国の中に入っての努力は、相手側を変えるだけではない。日本人自身も変えていく。
平成18(2006)年7月29日、麻生氏は小泉総理(当時)とともに、イラクに派遣された最後の陸上自衛隊部隊の隊旗返還式と慰労会に出席した。
ここで見た若者たちは、年格好からするとその多くは二十歳そこそこです。それが揃いも揃って、実にいい顔になっていたことを、私は生涯忘れえぬであろうと思います。「こんなに立派にしていただいて」。親御さんから感謝され、話が随分あべこべだとは思いましたが、見違えるように頼もしくなった息子を前にすれば、親ならそう言いたくもなります。入隊時の宣誓に言う「事に望んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」を実践して灼熱のイラクで善行をなし、いかにも達成感を得た表情がそこにありました。
この時まで延べ7千6百人(航空自衛隊含む)の隊員が、イラク・サマーワの地で人道復興支援活動に携わりながら、盗みや暴行はおろか、軽犯罪の一つすら起こしておりません。そのことでイラクの人々と、一緒に働いたオランダや英国、豪州の軍人たちから尊敬を勝ち得た自衛隊員諸君こそは、新しい日本人像を率先垂範、示してくれたのです。
人間は、世のため人のための使命を抱いた時に元気になり、困難を通じてそれをやり遂げた時に、自信を得る。
「自由と繁栄の弧」を創るという国家的使命感は、日本人に元気を与え、その挑戦を通じて、自信に満ちた新しい日本人像を生み出そうという試みでもある。
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