2543 レビー小体型認知症 渡部亮次郎

東北に住んでいるはずの友人から久し振りに封書が届いたが、開けてみると病床にある父に代り長女がしたためる”最後の挨拶状”。「父の病はレビー小体型認知症アルツハイマー型認知症」という悲痛な知らせだった。「父に残された時間はいかばかりかわかりません」涙なしには読めなかった。
レビー小体型認知症(れびーしょうたいがたにんちしょう、英Dementia with Lewy Bodies;DLB)はアルツハイマー型認知症や脳血管性認知症と同じく変性性認知症の一種であり、日本では三大認知症の一つである。
彼はちょうど70歳。私がチリ地震津波災害取材を終えて、1960年6月、NHK仙台から盛岡放送局へ赴任して初めて会った。ニュース・フィルム編集に天才的な能力を持っていた。
高卒で仙台市で貯金局に勤めていたがフィルム編集職の公募に合格し、盛岡が初任地だった。記者やカメラマンが撮影してくる16ミリのモノクロ・フィルムをネガでさっと見ると、瞬時にニュースの本質を見抜き、あっという間に1本のニュースに仕上げた。
だから間もなく彼の名は全国に轟き、東京に上がるや、人事管理能力も認められ、高卒者ではNHK始まって以来初めての部長に昇格した。しかし、彼は部長のデスク仕事は「性(しょう)に合わない」といい続け、仙台での現場に戻って定年退職した。
定年後は宮城県内の生家で野菜作りを楽しむ傍ら書道をやっていた。その後庭師の資格も取ったといっていたが、最近は便りも途絶えていた。そこへ「最後の便り」だから驚いた。
この病気は日本で発見されたとされた。1976年以降に小阪憲司医師によって世界的に知られるようになった。レビー小体とはドイツのLewyによってパーキンソン病変の脳幹で発見され名付けられた封入体である。
大脳皮質にこれが多く認められることから、小阪氏によってびまん性レビー小体病(びまんせいれびーしょうたいびょう、英diffuse Lewy body disease;DLBD)と名付けられた。その後1995年イギリスで行われた第1回国際ワークショップにて現在の名称になった。
また、パーキンソン病のような運動障害も併発するのが特徴。以前は、びまん性レビー小体病と呼ばれていた。
この病気特有の症状としては、幻覚を見たり、妄想をしたりすることがあげられる。やがて、アルツハイマーのような認知障害と、パーキンソニズムと呼ばれるパーキンソン病のような運動障害の両方が症状として表れ、徐々に進行し、最終的には寝たきりになる。
この病気はアルツハイマー型に比べ10倍も寝たきりになるのが速いとされる。 また、薬物に過敏に反応し(薬物過敏性)、アルツハイマーの治療薬やパーキンソン病の治療薬を通常量で投与すると逆に症状の悪化を招くことが多い。
初期の段階では、診断が難しくアルツハイマー型認知症やパーキンソン病と診断されたり、初期にうつ病が出てうつ病と診断されることがある。この病気の早期発見と、適切な治療が進行を遅らせ症状を和らげる。
高齢者に多くみられるが、40歳前後で発病する場合もある。アルツハイマー型、脳血管性を合わせるとレビー小体型は約1割以上とされるが、九州大学による研究では41.4%という結果が出ている。出典::フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「入院から5ヶ月が経過し、父の状態は、初夏の頃に比べると安定しているように見えます。しかしながら、認知症全般には根本的な治療法が無く、せめて症状の進行を遅らせるのがすべてだそうです。
父が混乱する記憶の中、高校時代に打ち込んだ卓球のことと人生の大半を過ごしたNHKで良くしていただいたことを話すときばかりは、少しだけ瞳に力が宿るような気がいたします」。
「これまでの、父に対するご厚情に深く感謝いたします。たとい思い出すことが出来なくなっても、父の頭の中には、皆様との思い出が詰まっており、決して消える事は無いと思います。今回を持ちまして父のなまえでのご挨拶は最後にさせていただきます」
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