2560 日本は世界最古の君主国家 加瀬英明

今上陛下の御即位二十年を仰ぐ幸せを、全国民とともに喜び、分かち合いたい。
先帝が崩御された時に、私たちは底知れない空虚感にとらわれた。その悲しみはいまでも消えることがない。
しかし、日本は悠久の歴史から受け継いできた活力を、衰えさせることがなかった。
今上陛下が高御位(たかみくら)にのぼられると、その御聖徳によって、わが国の精神的な柱としてのお役割を見事にお果たし下さってこられたからである。今上陛下の皇宗の理想を体現されておられる高貴なお姿を拝して、どれほど国民が徳化され、励まされてきたことだろうか。
人に人柄があるように、国には国柄がある。日本の国柄が、これまで日本人一人ひとりの人柄をつくってきたといってよい。
日本の国柄は今日まで連綿として、百二十五代にわたって続いた万世一系の皇室によって、形成されている。
今上陛下の御即位二十年の佳節に当たって、私たちは日本という国がこの世界のなかで、いったいどのような特徴を備えているものか、日本の国柄について想いをめぐらせたい。
どの国をとっても、王家のありかたが国柄をつくり、国柄が王家のありかたをつくってきた。今日でも、ヨーロッパをはじめとして王制をとっている国が少なくない。そのなかで、日本は世界最古の君主国家である。
他の国々では王室は国民のなかから発して、権力闘争に勝つことによって、覇者として王位についたのに対して、日本の皇室はロマンに包まれる神話から生まれ、建国以来二千六百年以上にわたって、国民の心を束ねてきた。
天皇はつねに国民の幸せと、世界の平和を祈ってきた。天皇を天皇たらしめていることが二つある。神々を祀ることと、歌の伝統を継いでいかれることである。天皇は国会の開会式に臨まれなくても、外国の元首や使節を接見されなくても、批准書などを認証されなくても、天皇である。このようなことは、その時代ごとの制度であって天皇の本質にかかわることではない。
宮中では古来から「先神事、後他事」といわれて、宮中祭祀が何よりも優先されてきた。神事は神を祀る儀礼であり、「神事を先にして、他事を後にする」という意味である。
今日、世界の先進国のなかで神話を持っている国といえば、日本とギリシアの二つの国しかない。イタリアのローマ神話はギリシア神話を借りて、焼き直したものだ。しかし、ギリシア神話は現代生活にかかわるものではなく、アテネの丘にたつ壮麗な遺跡と同じように、過去に属するものとなっている。
天皇は日本の祭主として、宮中祭祀に熱心に取り組まれてきたことと、御歌を詠まれてきたことによって、この国の徳の源泉となられてきた。歌も祈りである。日本では古くから言霊(ことだま)というが、よき言葉を発すると現実がそのように変わるという信仰があった。神事も歌も、祈ることで共通している。
日本では超近代都市である東京の真ん中に、緑の小島のように浮かぶ皇居のなかで、日本神話が息づいている。
宮中祭祀のなかで、もっとも重要な祭である新嘗祭は夜を徹して催される。新嘗祭において、天皇が神々に新穀をすすめられるときに使われる箸(はし)は、箸の原型といわれる竹を細く削ってピンセット状にしたもので、皿として用いられる柏(かしわ)の葉に盛りつけられる。日本民族の祖型が、受け継がれている。
一人の人である天皇が神に近づこうと努められ、日本最古の祭を行われることを通じて、崇高な精神を得ようとされるのは、有難い。
今上天皇も吹上御苑の東南にある小さな水田で、ゴム長靴を履いて自ら田植えをされ、稲を育てられ、刈入れをされている。これは天照大御神が高天原(たかまのはら)の斎(ゆ)庭(にわ)(神を祭るためにけがれを払って浄めた場所)の稲穂をとって皇孫に授け、耕作を命じた神勅にもとづいている。
天皇はつねに日本神話と、一体になってこられた。天皇は現在という時代を超えて、日本を二千六百年以上の時間を尺度にあてはめて、御覧になっている。
日本の皇室はつねに平和を願って神事につとめ、自然を愛(め)でて詩歌をつくり、覇権を求めることがなかった。天皇こそ、日本という国に品格をもたらしている。
同じアジアの国であっても、日本は中国、朝鮮と対照的である。中国や、朝鮮では王朝が頻繁に交替し、支配者として贅に耽った。
日本と西洋をはじめとする外国における王のありかたは、それぞれの文化における神のありかたに似ている。
ユダヤ・キリスト・イスラム教の神は能動的で、人々に干渉する。日本の神々は自然のなかに鎮(しず)まっておられる。天皇も鎮まっておられる。国民としてご心配をおかけしないように、正しく生きることが求められる。 
御在位二十年を、国をあげて寿ぎたい
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