左眼の進歩的なジャーナリストたちは、この世相から右翼・ファシズムが台頭すると警鐘を鳴らす。
私は戦前、戦後の右翼とは、一般の人より縁がある。五・一五事件、二・二六事件の関係者とは、どういう巡り合わせか分からぬが、戦後も付き合いが続いている。知らなかったとはいえ、二・二六事件で刑死した北一輝の縁者を女房に持った。
私の目が節穴なのかもしれないが、進歩的人士が懸念するほど右翼が蠢動している気配は感じられない。真冬の”お化け”の影に怯えているのではないか。
戦前の右翼には資金を提供する陸軍参謀本部や財閥があった。この不景気のご時世に右翼に資金を提供するところがあるだろうか。いかに精神的な右翼であってもカネがなくては動くに動けない。
と言ってウルトラ・ナショナリズムは米占領下に完全に駆除されたと断じるのはどうかと思う。木下半治教授が言ったように日本ファシズムは”不死鳥”なのである。(「日本国家主義運動史」)
日本の右翼には「天皇制護持」という特殊性がある。イタリアのネオ・ファシズムやドイツのネオ・ナチズムとは異質の思想である。六〇年安保の時代に日本の右翼陣営は、行動右翼・街頭右翼と思想右翼・純正右翼が活発に動いた。
ハネあがりの行動右翼に対して純正右翼側から批判も出ていた。戦前からある”組織右翼”と”観念右翼”の対立が続いている。
だが天皇制に危機的状況が生まれないかぎり軽挙妄動は慎むというのが六〇年安保を経た右翼陣営の大方の考え方ではないか。したがって不気味な沈黙を守っていると見た方がいい。
右翼の跳梁を許す大状況は、国内政治の混乱と先の見えない不況であろう。今の日本の政治・経済状況は、右翼にとって不死鳥が甦る期待感を抱かせる。連日のようにテレビで混迷状況がこれでもか、これでもかと伝えられれば、右翼ならずとも強力な国家指導を望む声が出てくる。
六〇年安保の翌年暮に戦後の五・一五事件ともいうべきクーデター計画が発覚している。この年の六月、米国のUPI通信社が「およそ12人の陸上自衛隊少壮将校による政府転覆を狙った”東京クーデター”陰謀が、自衛隊当局により摘発された」とスクープをした。慌てた日本政府は全面否定。池田内閣の頃である。
暮になって警視庁公安部は東京、福岡など全国32か所を捜索。元川南工業社長・川南豊作を中心とした旧軍人、学生らのグループ13人が逮捕された。この中に昭和七年の五・一五事件で犬養首相を拳銃で射殺し、十五年の禁固刑を科せられた三上卓元海軍中尉が加わっている。
無税・無戦争・無失業の「三無」をスローガンに掲げて、池田首相ら政府要人を暗殺、武力で国会を占拠する計画だった。計画が絵空事でないのは、自衛隊の作業衣、戦闘帽99点、鉄カブト300個、米海軍用ガスマスク150個、投弾練習用の手榴弾1個、川南宅ではライフル銃1丁が押収されている。
決起した部隊は戒厳令を敷き「失業者、重税、汚職のない平和国家」のスローガンの下で臨時政府を樹立、容共的な閣僚、政治家を粛清することになっていた。
進歩的なジャーナリストが猛反対した破壊活動防止法の適用第一号で「政治目的のため、殺人、騒乱罪などの予備をした」ことで関係者十人が起訴された。日本のマスメデイアにとって”寝耳に水”の三無事件だったが、米国のUPI通信社に見事に出し抜かれた。
事件発覚後、大宅壮一氏は次のように語っている。
「五・一五事件と非常によく似たケースだ。それというのも、戦後の日本は経済的にたくましい成長をとげている半面、歴代政府の政治が無力で弱体であったからにほかならない。池田内閣にしてもそうだ。たとえば中小企業が深刻な金詰りにあえいでいるのに、世間ではレジャーブームとやらで、なんとなく浮ついたムードがただよっている。こうしたムードが新しいものにあこがれる若い人や古い時代を懐かしむ旧軍人に不満を助長させたのだ」
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2592 もうひとつの五・一五事件 古沢襄

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