義を見てせざるは勇なきなり、とはいうものの、言うは易し、行うは難しである。ナチスから迫害を受けたユダヤ難民を救った人では杉原千畝氏(リトアニア・カナウス領事館領事代理、肩書きは当時)が有名だが、以下の人々も大いに貢献したと上杉千年氏(歴史教科書研究科)が「やすくに」平成20年12月号に表記のタイトルで記している。要約する。
●樋口季一郎氏(陸軍少将)
昭和12年、満洲在住のユダヤ人5500人から「極東ユダヤ人大会」開催を求められると樋口氏は快諾。河村愛三氏(陸軍少佐)、安江仙弘氏(陸軍大佐)らとともに個人の資格で大会へ出席し、ユダヤ民族への理解と同情を示した。
●松岡洋右氏(南満洲鉄道総裁)
翌13年、ナチスのユダヤ人狩りから逃れてきた多数のユダヤ人がソ連領オトポール駅に滞留し、満州国に入れずにいたところ、樋口氏は松岡洋右氏(南満洲鉄道総裁)の協力を得て特別列車を派遣して救援した。
●東條英機氏(関東軍参謀長)
友邦ドイツから抗議され、東條英機氏(関東軍参謀長)が樋口氏に釈明を求めると、「日満両国が非人道的ドイツ国策に協力すべきものであるとすれば、これまた驚くべき問題」と主張。「日本はドイツの属国ではない、満洲は日本の属国ではない」とまで言い切った。東條氏はその主張に同意し、陸軍省にそれを伝え、不問に付した。
●安江仙弘氏(陸軍大佐)
安江氏は陸軍きってのユダヤ問題研究家であったが、石原莞爾氏(陸軍少将、関東軍参謀副長)に進言し、「ユダヤ民族施策要領」の策定にかかわった。八紘一宇(世界は一家)の精神でユダヤ難民を保護すべきであり、後に板垣征四郎氏(陸軍大臣)に具申して実現した「ユダヤ人対策要綱」では、ドイツのようなユダヤ人排斥は「帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神に合致せざる」と明記している。
●犬塚惟重氏(海軍大佐)
「ユダヤ人対策要綱」決定に安江氏とともに尽力したのが、海軍のユダヤ問題専門家の犬塚氏だった。出世の道を断ってまでユダヤ難民問題に挺身した。自らがこの問題を担当することが日本にとってもユダヤ人にとっても良いという判断からだった。
白人による世界の帝国主義的支配の「終わりの始まり」は日露戦争での我が国の勝利による。おそらくこれは20世紀における最大の事件と百年後千年後の歴史家は記すだろう。この戦争で日本は戦時国債を発行したが、その多くを引き受けてくれたのがユダヤ民族である。
多難な時代は続くが、日本とユダヤの民は歴史的な友好関係を維持したいものだ。今年はイスラエル独立建国60周年だった。
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