2607 「田母神論文問題」その後 花岡信昭

自衛隊の前空幕長、田母神俊雄氏の「論文問題」のその後について、触れておかなくてはなるまい。このことを書いた第133回の拙コラムには138本ものコメントが寄せられた。それほど関心の高い話題であったということになる。
私的事情で恐縮だが、パソコンが壊れてネットに接続できない状態が続き、このサイトも見られない日々を過ごした。しばらくぶりで開いてみて、筆者にとっては「記録的コメント数」となったことを知った。ならば、その後の報告をしておかなくてはならない。
審査委員としてこの問題の「当事者」側に立ってしまったことは既にお伝えしたが、得難い体験ではあった。とにかく、取材する側にいたはずが、週刊誌などから追いかけられる「取材される立場」になったのだ。これは実際にやってみなければ味わえないものだった。なるほど、取材される側というのはこういう意識を持つのか、ということがよく分かったのである。
先のコラムでも触れたが、あらゆるメディアの取材には懇切丁寧に応じようとしてきた。審査委員長だった渡部昇一・上智大名誉教授らが取材の矢面に立たされ、審査経過の詳細を説明するといった事態を避けたかった。そこは比較的、自由な立場である筆者の役割であると思ったのだ。
いま、田母神氏には講演やテレビ出演の依頼が殺到している。そこは田母神氏も心得たもので、可能な限り要請に応じて率直な発言を続けている。自衛隊では洒脱(しゃだつ)な人柄で知られてはいたが、とにかくその発言ぶりはおもしろい。
「慎重さが足りないと言われたが、私に足りないのは‘身長’です」「(家族がどう思っているかを聞かれて)カテイ(仮定・家庭)の質問には答えられない」などと、‘おやじギャグ’を連発する。「日本は侵略国家であったのか」と大上段に振りかぶった論文を発表した人とは思えない‘落差’に、講演会場は笑いの渦だ。
*「世論は確実に変わりつつある」
12月8日、明治記念館で授賞式が行われ、田母神氏は賞金の300万円を辞退した。論文募集を企画したアパグループの元谷外志雄代表をF15戦闘機に体験搭乗させた見返り–などとわいろまがいの報道もあったのだから、これは受け取れるわけがない。最優秀賞という「栄誉」だけを受け取ったのである。
これに先立って、11月末、テレビ朝日系の「朝まで生テレビ」がこの問題を取り上げ、筆者も呼ばれた。以前にも出たことはあるが、なにせ活字の世界で生きてきたので、他人を押しのけても瞬間タッチ型で発言しなくてはならないこの種の番組は苦手である。だが、この際、審査経過への疑念を晴らすチャンスと思って、あらゆる資料をごそっと持ち込んだ。
ところが、本番前に司会の田原総一朗氏は「審査経過なんてどうでもいい。週刊誌なんか放っておけよ。きょうは論文の中身の論議をやりたい」と言う。なるほど、これが田原氏らしい感覚なのだと認識を新たにして、それならそれでと態勢を立て直して臨んだ。
3時間の生番組はなんとも消耗したが、田母神論文への肯定派、批判派、それぞれが言いたいことを言い合って終わった。内容を繰り返すのは避けるが、最も意味があると思ったのは、番組の終了直前である。視聴者からのアンケート調査の結果が報告された。
それによると、「田母神論文に共感する」61%、「自衛隊の存在を憲法に明記すべき」80%という数字が出た。これには正直いって驚いた。田母神論文問題に関心のある人が視聴していたということを差し引いても、この数字には重みがある。
終了後、しばらく番組スタッフとこの数字の意味合いについて論議した。「世論は確実に変わりつつあるのではないか」という思いで一致した。
国家観や歴史認識はさまざまであっていい。言論の自由もぎりぎりまで保障されなくてはならない。それが民主主義の基本だ。だから、「ぞっとする自衛官の暴走」という朝日新聞の社説は言論封殺につながる内容なのだが、それでもなお、その言論は尊重したいと思う。言論封殺の主張も認めるというのが自由な言論のアイロニーだ。
*自衛官の「思想調査」が進んでいる
田母神氏の論文について、政府はその後の答弁書で「私的行為」であって、自衛隊法が禁じている「政治的行為」には当たらないという見解を示している。
懲戒免職にせよという声も強かったが、今回の論文応募は免職にはとうてい該当しない、という解釈が一般的だ。定年退職が適用されて自衛隊を去った田母神氏だが、仮に身分保全を求める裁判を起こしていたら、結果はどうなったか微妙なところだ。
麻生首相も浜田防衛相も、田母神氏の心境は痛いほど理解しているのである。政治的事情によって、こういう決着をつけなくてはならなかったということにすぎない。田母神氏は自衛隊トップとして「お騒がせした罪」はあるのだろうが、この論文が投じた一石はきわめて重みがあったというべきだろう。
論文のレベルを「中学生なみ」などと揶揄(やゆ)する批判も出たが、田母神氏は文筆家でも歴史家でもない。筆者などは、自衛隊トップとして、その思いを愚直なまでに素直に率直に書きつづった点を評価したかった。記述の中に出てくる歴史的事実の検証は近現代史の専門家におまかせしようと思う。
重要な報告もしなくてはならない。この論文以後、自衛隊内部でおかしなことが起きているという。民主党の求めに応じて、アパグループとのかかわりがある自衛官のあぶり出しが進行中だ。アパホテルに泊まったことはあるか、ポイントカードを持っているか、居住しているのはアパのマンションではないか、といった調査が行われているという。
100人近くが論文募集に応じていたため、該当者の「思想調査」まがいのことも行われているようだ。自衛隊関連の学校で、国家観、歴史観をどう教育しているか、その総点検も実施中だ。
防衛省、自衛隊は、これまでも「内局」と制服組の軋轢(あつれき)が少なからず存在した。その積年のしがらみが論文問題を契機に噴き出したようなのだ。制服組には「よけいなことは言わないほうがいい」といったブレーキが働き、会議などでの発言もめっきり減ったという。
これが「文民統制(シビリアン・コントロール)」だと思っているのなら、内局の重大な勘違いを指摘しておかなくてはなるまい。文民統制とは、背広組が制服組の思想調査をやるような次元の話ではない。
文民統制の定義は学者によってもさまざまなようだが、これが貫徹されるための前提条件として、軍事情勢分析を行うのは「軍」の蓄積された情報収集能力とノウハウが不可欠であるという事実から出発しなくてはなるまい。
*「政治」と「内局」にある問題
自衛隊の装備、人員、予算などを決めるのは「政治」である。そこには、「軍」との日常的な意見交換と信頼関係がなければ、日本周辺の軍事情勢を踏まえた的確な防衛体制の整備など構築できるわけがない。
細川政権や村山政権当時の「あること」を思い出している。あの当時、社会党が政権に入ったのである。懇意にしていた防衛関係者が「正確な軍事情勢を首相官邸に上げられなくなった」と嘆いたものだ。これは公安当局も同様だったという。
北朝鮮の朝鮮労働党と友党関係にあったのが旧社会党だ。その「残党」はいま社民党と民主党にいる。民主党の政権奪取の可能性が出てきたことで、防衛・公安当局は「ある種の調査」をひそかに進めているはずである。北朝鮮そのほか共産圏とのつながりが残っている議員がいないかどうか。ここを徹底させないといけないのである。
民主党が居丈高に、田母神氏の国会招致で発言を封じたり、自衛隊内部の思想調査を求めたりしていることは、自衛隊との関係を考えると、もっと慎重に対応すべきではないかと指摘しておきたい。それは民主党の政権担当能力にかかわる重大事なのだ。
もうひとつ。今回の問題で内局トップ、つまり事務次官は、「仲間」であるはずの空幕長を守ろうとするのではなく、逆に、官邸を巻き込み、一晩で更迭することに奔走した。
自衛隊と内局のぎくしゃくした関係はここに集約されている。自衛隊内部の異常な雰囲気を解消していくためには、政治の側の努力もむろん必要だが、事務次官が辞表を提出する以外にないように思える。
もっともこの事務次官にとっても、自衛隊トップのクビを取ったのだから、ともに討ち死にする覚悟はできているのであろう。統合幕僚長とともに辞表提出のタイミングを計っているのだと思いたい。
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