自民党の機関紙「自由民主」の新春特集号1面に麻生太郎総裁が大書している4文字の色紙、<天下為…>の3文字は読めるが、最後の1字がどうしても読めない。しばらく眺めていたが、あきらめた。
2面を見ると色紙の解説があって、読みづらい崩し字は<公>だった。天下は為政者のためでなく、公民のためにある、という意味で、古代中国の経書「礼記」の一節という。
麻生が書いた漢字が読めない。リベンジの一本を取られたような気分でもある。
ところで、今年を締めくくるにふさわしい1冊を紹介したい。「含羞(がんしゅう)の人--藤波孝生追悼集」である。
表紙に沈思黙考する藤波元官房長官の大写しのポートレート、185ページ、出版社も定価もない。
特に紹介したいのは、この本の作り方だ。橋本五郎(読売新聞特別編集委員)、松田喬和(毎日新聞専門編集委員)ら藤波と親交の深かった古参のジャーナリスト9人は、昨年10月藤波が死去した直後、いち早く追悼集刊行委員会を組織している。しかも、本の<はじめ>に、
<自分たちが原稿を出しながらお金も出して出版するという、文字通りの自費出版の形を取ることで衆議一決した。政治家の追悼集はあまたあるだろうが、稀(まれ)と言っていいのではないか>と記しているように、手作りの方針を決めた。
新聞、テレビ、通信社の記者31人が藤波を偲(しの)ぶ追悼文を寄せ、1口1万円のカンパに応じている。収支報告書を見せてもらった。
印刷・製本代、デザイン代など本(1500冊)の制作費が87万円、執筆者のカンパ71万円、不足分は追悼集刊行を機に催された<偲ぶ会>(3日・東京都内)の会費の一部を充てたという。
政治家とマスコミの間には、こんなうるわしいつながりもあるのだ。藤波の人徳が大きいのはもちろんだが、マスコミ側にも批判だけでなく、評価できるものはしっかり見つめたいという情熱があることは、追悼文のひとつひとつを読めばよくわかる。
しかし、今年も両者の関係は良好でなかった。麻生内閣の支持率低下は、「マスコミのせいだ」と公言する自民党議員がいたり、麻生首相は、「新聞は読まないことにしている」と何度も国会で答弁した。
「おたくらのネタにはなるかもしらんが……」と記者の質問に答えるのを拒んだこともあった。相互批判は構わないが、それ以上に相互理解を深めないと、政治不信は一段と高じるのではなかろうか。お互い、自戒すべきことである。
追悼集の<あとがき>にもこんなクダリがあった。
<藤波さんは数々の含蓄ある言葉を残してくれました。フジナミズムを象徴する言葉を一つ挙げろと言われれば、「みっともない。恥を知りなさい」ではないでしょうか。後輩の政治家を叱(しか)る言葉であり、節度を欠いたマスコミ報道にくぎを刺す言葉でもありました>
それにしても、イズムを付けて呼ばれる栄誉は、戦後政治家のなかでも藤波ぐらいではなかろうか。追悼集のなかには、
「控へ目に生くる幸せ根深汁」という孝堂(俳号)の代表作が繰り返し出てくる。心にしみるいい句である。
なお「含羞の人」、お読みになりたい方は、少しばかり残部があるそうなので、〒100-8051 毎日新聞まいまいクラブにハガキで申し込みを。(敬称略)(岩見隆夫ホームページ)
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2633 フジナミズムと呼ばれ 岩見隆夫

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