米軍座間キャンプの警備の職に就いた父は、時折MP(military police)のヘルメットをつけて不良米兵の捕縛に当たった。とんとん拍子で出世し、基地司令官から表彰されたが、その際の写真は残っているものの、賞状は見たことがないので廃棄したのであろう。
父は米国人を軽蔑して「アメ公」と呼んでいた。
「やすくに」平成21年新年号に教育評論家の石井昌浩氏が寄稿しており、なんとGHQは靖国神社の焼却を企んでいたと知り、小生も父に倣って米国人を「アメ公」と呼びたい気分である。
<昭和20年秋のことである。連合国総司令部(GHQ)は、玉砕や特攻で発揮された日本軍将兵の激しい敢闘精神を根源から断ち切ろうとして、靖国神社焼却を計画した>
調べてみたら「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」のサイトに詳しく紹介されていた。学校ではまったく教えてくれない史実であり、不覚にも小生にとって初耳であった。こうある。
<終戦当時、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理であったブルーノ・ビッター神父の存在も忘れることはできない(以下参考、木村正義「靖國神社とブルーノ・ビッター神父」、社報『靖國』昭和56年7月号所収)。
GHQは日本占領直後、当然のことながら靖國神社の処置問題を取り上げ、司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占め、その最終的判断は、マッカーサー総司令官に任されることになった。
マッカーサーは決断を下すにあたって、キリスト教会の意見を聞くこととし、ビッター神父に対し、靖國神社処分に対する使節団の統一見解を文書をもって回答されたい旨要望した。
第1次大戦の勇士で陸軍中尉、ドイツ敗戦後、聖職者の道を選び、昭和9年から日本に滞在、上智学院の院長も務めた知日派のビッター神父は次のように答申した。
「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。
もし靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきりいって、靖國神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相いれない犯罪行為である」
マッカーサー司令官はこの答申を受けて、靖國神社の焼き払いを中止せしめたという。
かくしてGHQは、!)敗戦後も、靖國神社が日本の戦歿者追悼の中心施設であることを日本の大多数の国民は認めており、!)その祭典は決して軍国主義を賛美するものではなく、!)バチカンの代表者も、たとえ宗教的色彩を帯びようとも靖國神社は戦歿者追悼の施設である以上、その存続を認めるべきだと考えている――ことを知り、その廃絶は断念したのである>
アーリントン墓地で小生が立ち小便したらほとんど死刑だろうに、アメ公は畏れ多くも靖国に火をつけるという焚書坑儒に匹敵する悪逆非道を行おうと犯罪共同謀議をしたのだ。時効は認めない。
現代史を学べば学ぶほどアメ公へ天罰が下るようにとの願いは募るから日本政府という米国傀儡政権は歴史教育を子どもたちに封印しているのだろう。元旦は靖国詣でに決めた。
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