2643 政治メディアは迷走していないか 花岡信昭

現役の政治記者時代、新聞の政治面には「ハコ」があった。新聞によってタイトルは違うが、政界のこぼれ話を3本ほど載せるスタイルはほぼ共通していた。
各社とも若手の記者が交代で担当する。政党や首相官邸、各省庁などの担当記者に「ハコネタありませんか」と電話をかけ、材料を集めて軽いタッチで書く。若手の文章修業の場ともなっていた。
土曜にはあまり動きがないので、自民党では当番の副幹事長が、「ハコ」向けの会見を行う。幹事長室のベテランスタッフがざれ歌などを用意しておき、これを自作として披露するのだ。いまなら「やらせ」として批判されてしまうのだろうが、そうでもしないと「ハコ」にアナがあいてしまう。
この欄がいつの間にか消えた。その代わりに、かつてならば「ハコネタ」扱いであったはずのものが、重大ニュースとして報じられるようになってしまった。
麻生首相の「高級ホテルのバー通い」「漢字の読み間違い」などは、さしずめそのたぐいだ。政治記者がまなじりを決して報じるような話ではない。
臨時国会終盤で民主党が出した解散要求決議もそれに近い。憲法にも国会法にも規定はない。出すなら内閣不信任案だ。
自民党の渡辺喜美氏が賛成して、これまたビッグニュースになった。これが政局転換につながるというのなら、大きな扱いとなるのもわかるが、その気配はまったくない。
法的拘束力のない決議案を野党が提出することの不可解さもたださず、これに造反者が1人だけ出たことに大騒ぎする。そういう政治メディアとはいったい何か。
処分を受けた渡辺氏だが、自民党内には逆に結束効果とでもいうべき現象が起きている。解散要求を葬(ほうむ)ったのだから、解散先送りが完全に容認されたわけだ。解散時期をめぐるそうした「力学」の変化をこそ見極めたい。
宮沢政権崩壊時には野党提出の内閣不信任案に自民党から大量の同調者が出て、これが2つの新党誕生につながった。あのころのダイナミズムとは比べようもないのだが、最近の政治メディアの「局所肥大症型」報道は異様に映る。
内閣支持率急落で「政権末期状態」と報じた新聞もあった。本当にそうなのか。そうでなかったのなら、大きな活字がむなしく見える。
昨年、「大連立」構想が浮上したとき、ほとんどのメディアは「大政翼賛会だ」などと非難した。いま、来るべき総選挙後に大連立再燃の可能性が現実味を帯びている。
昨今の政治メディアの迷走は、大連立の意味合いを理解できなかったあのときに始まったのではないか、などと年の瀬に考えている。
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