●「シカゴの政治」でつかんだ大統領のイス
今、100万人を超す群集がワシントンを埋め尽くすだろうといわれている1月20日のオバマ大統領就任式を見ず、その就任演説を聞かない段階で、以下、私が今後「オバマのアメリカ」をウォッチする上で一番必要なアングルだと思う点を報告しておきます。
それは、オバマ新大統領がアメリカ政治の歴史のなかでも、汚職とボス取り引きで有名な「シカゴの政治」のなかでもまれ、生き抜いてきた人物だという事実です。このアングルは、まだ日本ではあまり紹介されていないと思います。
アメリカで「シカゴの政治」といえば、19世紀後半から、アイルランド移民が主に民主党側で、マシーンと呼ばれた党組織を牛耳り、選挙で選ばれた市長のパトロネージ(人事任命権)によるスポイルズ・システム(猟官制)で公職を独占する腐敗、不正の政治の典型として有名です。アイルランド移民系マシーンが市政を支配するのは、19世紀末以来、ボストン、ニューヨークなどの大都市で共通しています。
しかし、シカゴはとりわけ第二次大戦前の禁酒法時代マフィアとも紙一重の関係も持つ激しい党派的な抗争で知られています。 戦後も1970年代までは、現在のデイリー市長の父、リチャード・デイリー・シニアー市長が民主党マシーンを独裁的に支配、露骨な投票強要などを行ったことで知られています。ケネデイがニクソンとの大接戦を制した1960年の大統領選挙戦では、シカゴでのケネデイ票にデイリー市長の工作で不正集計が行われた事実は歴史の一部です。
オバマ氏は、このシカゴにコロンビア大学卒業後の1984年、黒人地域の職業訓練支援などを行う地域振興事業の管理者としてやってきます。年間の予算を7万ドルから40万ドルに増やすなど業績を残した後、1988年ハーバード大学のロースクーに奨学金で入学、1991年に優等で卒業、シカゴに戻り、弁護士事務所に就職、1992年にミシェル夫人と結婚、人権派弁護士として売り出し、1996年イリノイ州議会上院議員に当選、ケリー上院議員を大統領候補に指名した2004年民主党全国党大会での「リベラルのアメリカも、保守のアメリカも、黒人のアメリカも, 白人のアメリカもなく、ただ”アメリカ合衆国”だけがある」との名調子の基調演説で名を上げるわけです。同年11月、イリノイ州選出上院議員に当選、そして今度の黒人初の大統領-と、とんとん拍子の上昇気流に乗るわけです。
もちろん、オバマ新大統領はこうしたシカゴ・マシーンとは一線を画し、これに対抗する改革派の旗手としてのし上がってきました。しかし、実際には、親しい友人で政治家としての活動の初期の資金的な支援者であったデベロッパーが2007年の予備選出馬の段階から、汚職容疑で逮捕され、現在も裁判中であることからもわかるように、決してこうした「シカゴの政治」の暗い顔とも無縁ではないすれすれのところをたくみに歩いてきた、したたかなプラグマチストとしてのオバマ新大統領の素顔を捉えておくことが必要だと思います。
ここで知っておかねばならないのは、このマシーンとの関係で、黒人、しかもハーバート卒のエリート弁護士としてのオバマ氏の経歴は、プラスにはなってもマイナスではない一種の政治的資産であったということです。
シカゴ市の政治マシーンについての有為な研究者である若手政治学者、釧路公立大学講師の菅原和行氏の論考(1960-80年代のシカゴ市における人事行政の変容。 2006年12月、釧路公立大学地域研究 第15号) によると、既に1960年代の段階から、デイリー・シニアー市長にとって、スポイルズ・システムの「柔軟な運用」で政治的影響力を維持するために、黒人をはじめとするエスニック・マイノリテイから市幹部を登用することが不可欠だったということです。つまりオバマ新大統領は、黒人という出自を生かしてこの「シカゴの政治」を肥やしにホワイト・ハウスまで辿りついたともいえます。
つまり、オバマ新大統領は選挙戦での「チェンジ、イエス・ウイ・キャン」といったスローガンの革新的なイメージとは裏腹に、バランス感覚に富んだ、優れて現実的な政治家だということです。
●シカゴ人脈に知事逮捕の黒い影
当選から二ヶ月、このアングルを実証する例には事欠かないと思います。
ビック・スリーの救済策をはじめ経済危機の克服という最大の課題に挑戦する経済政策チームでは、サマーズ(国家経済会議委員長)とガイトナー(財務長官)というウォール街の誰もが支持するクリントン政権時代の師弟コンビの登用に始まり、今のところ外交上のみならず、国内政治的にも技ありと見る向きが多いヒラリー女史の国務長官起用、支持率を80%近くまで押し上げた理由のひとつと評価されているゲーツ国防長官の留任――といった閣僚人事での冴えは、既に明らかになっていると思います。
このオバマ人事の凄みを物語るエピソードを紹介しておきましょう。民主党内の指名争いの段階で、党内の大物としては一番早くオバマ支持を表明した2004年の民主党大統領候補、ジョン・ケリー上院議員に対する対応です。
ケリー議員は上院外交委員会の有力メンバーでもあり、オバマ当選の功労者として国務長官得の就任を強く望んでいたといわれます。ところがオバマ氏はこれを退け、代わりに最後まで争ったヒラリー女史を起用したわけです。ケリー議員は、ワシントン政界でも個人的な評判が今ひとつと言うこともあって、同議員への同情の声はあまり聞かれません。
しかし、保守系ブロガーの一人は、ある意味ではオバマ氏にとっての大恩人であるケリー議員を簡単に袖にするところにオバマの現実主義が良く出ていると評していました。
ケリー議員は単に早めの支持表明だけでなく、2004年の自らの指名党全国大会でも基調演説者に、当時は全国的にはまったく無名だったオバマ氏を抜擢、その雄弁が注目を集めたおかげで、彼の大統領戦出馬が可能になった大変なチャンスを与えてくれた大恩人だったと言うわけです。この辺の非情さは、今後 ”危機の時代の大統領” として大切な素養だと、このブロガーは皮肉っています。
もう一つ、これもあまり日本では伝わっていないエピソードです。上院での共和党側のフィルバスター(議事妨害)を封じ込める60議席目の獲得がかかったジョージア州での上院議員再選挙で、あえてオバマ陣営が有り余る資金力を生かしての応援などを控え、オバマ氏自身も遊説せず、共和党現職議員の当選を許した一手が巧妙な政治的な計算だと、共和党側に評価されたことです。
共和党側の面子を維持させ、経済危機乗り切りやアフガ二スタンでの戦力強化で欠かせない超党派的な支持の基盤を作るためには、あえて60議席獲得は断念して、オバマ民主党によるホワイトハウス、上下両院完全支配への批判を封じた老獪な政治的決断だったというわけです。
こうした「シカゴの政治」仕込みのプラグマチズムは、今シカゴ出身の下院議員で、2006年の下院議員選挙での民主党多数奪回の指導者だったエマニュエル大統領首席補佐官以下、多くのシカゴ人脈がオバマ・ホワイトハウスに腰をすえ、政権運営の柱になろうとしています。
しかし、このシカゴ人脈にとってわが世の春ばかりとはいきません。2008年12月に入って、オバマ後任の上院議員の指名権を持つブラゴジエビッチ・イリノイ州知事が後任指名候補からの収賄容疑で逮捕されるというショックキングなニュースが流れたからです。いまのところ検察側もオバマ新大統領との接点は否定しています。しかし、知事とオバマ陣営との接触自体は否定されていません。共和党はオバマ後任は、選挙で択べと攻勢をかけています。
辞任に応ぜず、徹底抗戦の構えのブラゴジエビッチ知事を抱えて、オバマ新大統領は「シカゴの政治」の暗い影を引きずりながらのホワイトハウス入りとなります。
いろいろと緊張に満ちた「オバマのアメリカ」の幕開きです。
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