2652 ことしもよろしくお願いいたします 花岡信昭

ことしは毎日、短くてもいいから、ブログ、メルマガを書こうと思っていたのだが、3日坊主どころか、元日から果たせなかった。
というのは、大みそかの最終コラムに書いた「某演歌の大御所」宅がやたらと盛り上がって、お開きは午前4時過ぎになってしまったのだ。帰宅して寝たのが6時ごろ。起きだしたら午後も遅い時間だった。
元日は実は防衛関係のこれまた「大物」から「雑煮を食いにこないか」と誘われていたのだが、この調子だと夕方になってしまい、かえって失礼になる。出かけるのは断念した。
そのままぼーっと元日をすごしてしまい、思い出して年賀状を取りに1階のメールボックスに行ったのは2日だ。
家人は大みそかから実家に帰っている。昨年夏、父親をなくし、初の正月。地域の慣習で実家にいて、年始客の応対をしないといけない。
ということで、小生も喪中。年賀のごあいさつを失礼させていただく。
この喪中葉書を用意したのだが、パソコンダウンで住所録が吹っ飛び、手書きで住所を書いたりしたものの、結局は半分以上、残ってしまった。あちこちに失礼してしまった。
2月になれば新しい「研究室」も決まるようなので、それが確定してから、改めて挨拶状を出すことにしよう。
で、大みそかになぜ明け方まで盛り上がったかというと、やはり「演歌再興」の空気を関係者ははだで感じているからだろう。それに新宿コマ劇場のスタッフが何人も来て、これまた懐古談にハナが咲いた。大みそかの舞台がまさに最後の舞台になった。夜を徹して舞台の撤収作業が行われた。
コマ劇場の若いスタッフは宴の途中で「最後のコマ(回り舞台)に乗ってきます」と席を後にした。
国籍不明の歌ばかりが若い世代に好まれているが、これは歴史に残らない。日本語の歌謡曲、演歌のヒット曲だけが、いつまでも日本人の中に残る。これを大事にしたい。
黒人のジェロが歌謡曲に新しい光をあててくれた。黒人でなぜ演歌のこころがわかるのか。アメリカのカントリー、ジャズと通じるものがあるためではないか。
そんなことを考えた新年であった。政治の話は改めて。
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