■5.美しき最古の木造建築、法隆寺五重塔■
再び、木像建築の分野に戻るが、現存する木造建築として世界最古のものが法隆寺である。その五重塔は高さ32メートル余、総重量は1200トン。心柱は直径2.5メートルで、樹齢2千年以上の檜(ひのき)材を用いている。
通説によれば、推古天皇9(601)年、聖徳太子が法隆寺を建立された。『日本書紀』には670年に焼失したという記事があることから、その後に再建されたという説もあるが、五重塔の心柱は年輪年代測定によって591年のものと判明している。いずれにせよ、これだけの建物が600年頃に建てられたという事実は動かない。
その後、1400年間、記録に残っているだけでも40回以上の地震が畿内にあったが、倒壊せずに残っている。マグニチュード7.2の直下型地震に襲われても、塔は蛇のような動きをして衝撃を分散して、倒壊しないという、高度に合理的な構造設計がなされている。
また、法隆寺のデザインの秀逸さについて、国際美術史学会副会長の田中英道・東北大学名誉教授は、こう評価している。
右手に雄大な金堂を配し、左手に高秀な塔を置き、さらにそれを取り囲む回廊が、見事な統一性をつくり出している。左右に並ぶ独特な配置による、金堂、五重塔の黄金分割による比例美は、中国・朝鮮にも存在しない。
この寺院の中で、1400年後の現在も修行僧たちが勉学を続け、四季折々の行事を続けている事も、その美しさに花を添えている。
■6.ブロンズ像の傑作、奈良の大仏■
世界最古の木造建築・法隆寺と比肩するのは、現存する中で世界最大級の木造建築である東大寺大仏殿である。正面の幅 58メートル、奥行き51メートル、高さ実に57メートルに達する。
この中に鎮座まします奈良の大仏は、これまた世界最大のブロンズ像とされている。創建は天平勝宝4(752)年。当時の大きさは高さ16メートル、重量250トンと計算されている。
大仏は2度の大火に遭い、創建当時の姿は唯一焼け残った大仏蓮弁の線刻から窺い知ることができるとされているが、それを見ると、現在の大仏と同様に、顔、首、肩にかけての豊かな肉付き、前方に掌を向けた右手の一本一本の指の関節にいたるまでの自然な動き、ゆるやかな衣服のひだ、などがリアルに表現されている。
大仏建立の中心となった仏師は、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)であり、前述の田中英道教授は公麻呂をミケランジェロ、古代ギリシャのパルテノン神殿の建築と彫刻を残したフェイディアスとともに、世界三大巨匠としている。単に最大のブロンズ像というだけでなく、芸術的にも人類史に残るものである。
大仏建立を発願された聖武天皇は、次のような詔を出している。
・・・三宝(仏法僧)の威光と霊力に頼って、天地共に安泰になり、よろずの代までの幸せを願う事業を行って、生きとし生けるものがことごとく栄えることを望むものである。・・・ただ徒に人々を苦労させることがあっては、この仕事の神聖な意義を感じることができなくなり、あるいはそしり(悪くいうこと)を生じて、かえって罪に陥ることを恐れる。・・・国・郡の役人はこの造仏のために、人民の暮らしを侵し、乱したり、無理に物資を取りたてたりすることがあってはならぬ。
大仏は国民の安寧を願う聖武天皇の大御心の産物なのである。
■7.現存する世界最古の博物館■
天平勝宝8(756)年、聖武天皇が崩御されたのだが、光明皇后の嘆きは深く、天皇の遺品を東大寺に献ぜられた。その品々は約1万点にも及び、それぞれに由緒、来歴、造作、形式などを正確に記載した『国家珍宝帳』が作成された。
その内容は仏具、武具、文房具、楽器、遊戯具、調度、食器類、装束、文書類など、美術品のみならず文化人類学や民俗学的資料に及んでいる。また唐代の遺品も数多くふくまれ、さらに遠く中近東・ギリシャ・ローマにつながるものも少なくない。
このようなコレクションは世界でもほとんど例がないために、正倉院の宝物は、世界中の人々から驚異の眼差しで称賛され、人類の宝とまで呼ばれている。
宝物の保存状態も、時代の最先端をいっていた。まず建物が檜材を井桁状に積み重ねた「校倉(あぜくら)造り」で、空気の吸入、排出の作用があり、湿度が調整される。檜材の放つ芳香が、室内の空気を清浄にし、殺菌の効果を持っている。
さらに宝物は杉の唐櫃(からびつ)に入っており、湿度は70パーセントに保たれ、空気に触れることも少なかった。日本の古代からの木造建築の技術が活用されたのであろう。
貴重な文化財を国家が管理・保存し、展示するという「博物館」の概念は、16世紀フィレンツェのウッフィチ美術館、 18世紀中葉の大英博物館、同世紀末のルーブル美術館などを通じて確立されたものだが、この意味で正倉院は現存する世界最古の博物館と言って良い。
■8.日本文明のエネルギーの源泉■
以上の日本文明の足跡を見れば、世界最古とか世界一がかくも多いことに驚かされる。これ以外にも、[1]には我が国が世界一を誇る文物が多数、紹介されている。国土としては小さな国なのに、このような文明の活力、創造力はどこから湧いてきたのだろう。
本稿で紹介した項目を通して見ると、以下の2点が言えるように思う。
・我が国は古代から豊かな自然環境の中で、国内が早くから皇室を中心に平和にまとまり、そこで蓄積された富と技術を用いて先進的な文明を育んできた。その中には、皇室自身が主導的な役割を果たしたものも多い。
・皇室がひたすらに国民の安寧を祈り、それを受けて国民の間にも国家公共のために尽くそうという公共心が充溢していた。それが、利己的な国民には及びもつかないような文明の産物を生み出した。
こう考えれば、「万世一系」の皇室こそが日本文明のエネルギーを生み出した源泉である、と言えるのではないか。
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2661 日本文明のエネルギー (下) 伊勢雅臣

コメント
日本は青銅器時代が短いのに、独自の鉄器文化を創ったことに興味がいく。青銅器時代の豊潤があればこそ金属鋳造器の文化が根付くのだが、そういうことがほとんどなく、鉄器に突入しても、鋳造物としての興味が薄い。鉄を硬くして、まるで磨製石器時代のごとく刀剣を磨き上げる。
古代日本の鉄文化と日本の文化のかかわりが極めて深いことは司馬遼太郎氏の指摘を待つまでもない。天叢雲剣を待つまでもなく天皇製を支えた三種の神器もすべて磨くことによって出来上がる代物であることは興味深い。