2677 オバマ大統領誕生までの歩み 加瀬英明

私はマケイン上院議員が次期大統領として選出されることを願っていたが、いまになってみれば、オバマ政権のほうがよかったのかもしれない。
九月にウォール街から金融恐慌が始まって、アメリカが深刻な不況に陥ったことが、アメリカ国民が共和党から民主党へ政権交替を求めさせる決定的な追い風となって、オバマの当選を確かなものとした。もし、金融恐慌によって襲われなかったとしたら、オバマ大統領が出現することがなかったかもしれない。
 
アメリカにとっても、日本にとっても、アメリカ経済が一日も早く立ち直ることが大切である。経済は多分に気分によって、左右される。
オバマのほうが若くて颯爽としてみえ、国民に未来へ楽観をいだかせることができよう。マケインでは、そうはゆくまい。
アメリカは世界で珍しい国だ。四年か、現職の大統領が二期つとめれば、八年ごとに国が蘇生して、再出発するという幻想にとらわれてきた。
世界の国々では、政治は国民が顔を見馴れた政治家によって行われる。他の国なら、フランスや、ロシア革命か、明治維新のような革命が行われないかぎり、御一新がもたらされるとは思わない。
 
四十七歳の新大統領は、四年前までは、黒人の父と白人の母をもつ無名のイリノイ州議会議員でしかなかった。だから、まさにハリウッドのB級映画を地でゆくものだった。
ワシントンの上院議員として四年前の十一月に選出されたが、上院一期目の四年のうち二年を、大統領選挙へ向けて運動のために全米を飛び回るのに費やしたから、実績がない。
オバマはいくつもの幸運な偶然が重なって、彗星のように表舞台に登場した。
オバマはシカゴ貧民街の左の運動家をふりだしに、イリノイ州議会議員を八年つとめた。
オバマは党内の一部で、若く演説がうまいことで知られていたが、四年前の大統領選挙の民主党全国大会において、黒人票を固めるために基調講演を行う僥幸を手にした。欧米では政治家は演説(オレイトリー)に秀でていることが、評価される。この時の演説がずばぬけて上手(うま)かったために、全米に知られるようになった。
オバマはその勢いを駆って、イリノイ州で有力な上院議員が高齢のために引退するのを受けて、そのあとを狙った。
だが、大きな障害が立ちふさがっていた。銀行家で資金力豊かで、ハンサムなジャック・リャンが、上院議員候補レースに出馬していた。そのうえ、有名な美人女優ジェリ・リンを妻としていた。
 
ところが、奇想天外なことが起った。夫がニューヨークとパリの乱交セックスクラブに通い、自分も無理遣りに連れてゆかれたといって、夫人が離婚訴訟を起して、マスコミが大騒ぎしたので、レースから降りることを強いられた。
ヒラリー・クリントン夫人が二〇〇〇年に、ニューヨーク州選出の上院議員となったことも幸いした。ヒラリーははじめ生まれ故郷のイリノイ州から出馬することを考慮したが、ニューヨーク州を選んだ。もし、イリノイ州から立っていたら、オバマの芽はなかった。
オバマが黒人のミシェル夫人と結婚していたのも、幸運として働いた。白人を妻としていたとしたら、黒人の支持をえられなかった。
オバマはアフリカのケニアの野心的な青年で、アメリカに留学した父と、同じハワイ大学の学生だった白人の母が結ばれて、生まれた。オバマが二歳の時に父が母を捨てて、母がインドネシア人と再婚したために、インドネシアで少年時代を送った。
その後、再び離婚した母に連れられてアメリカ本土へ渡り、女手一つで育てられた。コロンビア大学を卒業して、市民活動家となった。このあいだにハーバード大学法学部に学び、弁護士の資格を取得した。努力家である。
アメリカの二百三十二年にわたる歴史で、オバマほど短時間で、全米の脚光を浴びた大統領候補はいない。
オバマはとくに白人の若い世代を魅了した。アメリカでは若者のあいだで、黒人に対する差別意識が急速に薄れるようになっている。
そして、このところアメリカでは黒人と白人か、黒人とアジア人との混血がセックスアピールがあるといって、若者が憧れている。
タイガー・ウッズは黒人とタイ人の母の混血であって、マスターズを含むメジャー大会の連続優勝者だが、ゴルフだけによって人気が高いのではない。F1レーサーで黒人と白人の混血のルイス・ハミルトンはイギリス国籍だが、やはり若者のあいだで高い人気を博している。日本におけるおばさまがたのあいだの〃ヨン様熱〃と、同列のものだ。
もし、オバマが黒人でなく、白人の一年生上院議員であったとすれば、〃オバマ旋風〃を引き起して、民主党の大統領候補選びでベテランのヒラリー・クリントン上院議員に勝つことはなかっただろう。
といって、アメリカの人口の十二パーセントを占める黒人は、いまだにアメリカ社会に融け込んでいるわけではない。オバマがアメリカの奴隷時代から血を受け継いだ黒人だったとしたら、刺激が強すぎた。白人たちが罪悪意識に責むことになるから、もし、その一人だったとしたら、憧れの対象になりえなかった。
共和党の対立候補だったマケイン上院議員は七十二歳で、老練な政治家だった。だが、オバマに全国総投票数の五十四パーセントを投じた人々の大多数にとっては、マケインがいくら自らの豊かな経験を訴えても、経験はワシントンに永年にわたって溜まった澱(おり)のようにしか、映らなかった。
オバマは未知だから、何でも自由に願望をかき込むことができる、真(ま)っ新(さら)なカンバスのようなものだ。
オバマ政権は大不況と、イラクとアフガニスタンの二つの戦争を背負って船出する。オバマは「希望(ホープ)」と「変革(チェンジ)」を合言葉として訴えたが、この曖昧な言葉を具体的な政策に変えるのは、至難な業となる。
対外政策がどのようなものになろうか? オバマ政権は大不況がもたらした国内問題によって、手一杯となろう。そこで対外的には、ブッシュ政権の外交政策を引き継いでゆくこととなろう。
アメリカの軍事力の強化は、これからも続いてゆく。アメリカが最強の国家であり続けることには、変わりがない。兵器産業は民主党の支持母体の労働組合を、支えている。
新大統領は国政については、ずぶの素人(しろうと)だから、不安はある。
しかし、民主党大統領候補指名の金的を射止めるまで、二年にわたって全米を駆け巡るあいだ、感情に駆られて取り乱すことが一度としてなかった。自分を抑えることに長け、冷静な計算ができる人である。
辻本清美のような市民運動家を演じたが、イデオローグではない。信念の人であるより、ひたすら成功を摑みたいオポチェニストだ。
周囲の意見をよく聞いて、行動する野心家である。マケイン議員はしばしば、癇癪を爆発させた。マケインが犬だったら、オバマは猫だ。
オバマは新鮮に映った。だが、オバマが新政権を準備して、中枢に集めた人々をみると、クリントン政権の手垢がついたベテランたちだ。やはり政治には、経験がものをいう。
オバマは見映えする包装紙だ。選挙戦でオバマの外交政策を罵ったヒラリーを、国務長官にしてよいのか。
日本でも、アメリカでも、政治がいっそう気分的で、娯楽になっている。
文明は秩序をもって始まり、自由になって混乱して崩壊すると言うが、この警告が当たっているような予感がする。
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