とにかく、私は懸命にメモをとった。一昨年夏、船旅をしていて、船中で村上和雄筑波大名誉教授の講演を聴いた時である。話に意外性があって面白いということもあったが、メモをとらずにはおれなかった。
「遺伝子解読が進んでわかってきたことがあります。わかってきたことで、万物の霊長である人間に衝撃を与えたのが、人間の遺伝子の数はこれまで考えられていた十万個よりもずっと少なく、三万~四万個程度だという事実です。この三万~四万個という数はハエの倍程度、魚やマウスとほとんど同数なのです。
また、人間とチンパンジーを比較した時、両者のゲノムの塩基配列の違いはたったの一・二%にすぎないこともわかりました。遺伝情報レベルで比較すれば、人間とチンパンジーは九八・八%同じ生き物だということです……」
こんな調子だった。ゲノムとか塩基配列とか、わからない言葉もあったが、引き込まれてしまう。
「こんどは人間同士の個体差で見ると、個人によって意味のある違いは遺伝子一万個につき一個くらいであることがわかってきています。ということは、東大を首席で出た人と分数のわからない大学生も、秀才と凡才も、利口とアホも、みんな遺伝子レベルで見れば、その差は一万に一つぐらいしかない。どんな人間もほぼ同じ遺伝子を所有するチョボチョボの存在だということです。
この事実をひっくり返してみれば、万に一つの違いが優秀な人とそうでない人の能力の差に大きな影響を与えているとも考えられますが、それにしても共通する部分のほうが圧倒的に多いのですから、その一つの違いなどはたくさん眠っている〈可能性の遺伝子〉をONさせることで、あっという間に埋めることができる。
では、どうしたらスイッチをONできるか……」
聴衆はぐっと身を乗りだす。秀才に変身できる耳よりな話が聞けそうなのだから。そこで村上さんは、私たちの心中を見透かすように、ゲラゲラ笑いながら、次を続けるのだ。船内講演は二度とも満席だった。
実は、村上さんと私は大学の同期、同じ学生寮で暮らした時期がある。農学部と法学部で畑はまったく違うが、寮生活では独特の人間関係ができる。
数十年が過ぎ、村上さんが遺伝子研究の世界的な権威になったことは漏れ聞いていた。寮生OBの親睦会で、
「村上はノーベル賞をもらうらしいぞ」
という話を耳にしたこともある。
◇科学は世界の宗教対立を和らげる手立てになるか
卒業して半世紀ぶりに、船で再会した。私は乗客の一人、村上さんは途中から乗船してきた人気講師である。この時の話は、先述のように、遺伝子を身近に感じさせる興味津々の内容なのだが、もうひとつ強く記憶に残ったのは、村上さんが講演中何度も持ち出した、〈サムシング・グレート〉という言葉だった。
「遺伝子解読に携わって、遺伝子の信じられないほど精緻で絶妙な存在や機能を知った時、これは自然にできあがったものではなく、むろん人間がこしらえたものでもない。人知をはるかに超える何か偉大な叡知がこれをつくり、生命の暗号として無限の遺伝子情報をそこに書きつけたのだという確信が芽生えたのです。
その偉大な何かを私は〈サムシング・グレート〉と名づけましたが、その時点からもともと自分の中にあった科学と祈りが無理なく交じり合い、共存共鳴するようになったのです」
と村上さんの語りは一種の神秘性を帯びていった。偉大な何か。日ごろ、そんなことは考えていない。漫然と時が流れている。それだけに、ずしんとくる話だった。かつて、アインシュタイン博士が、
「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」と言っていたことも紹介された。宗教と科学の結びつき、というエキサイティングなテーマである。
人類の歴史は宗教戦争の連続といっていい。二〇〇一年の九・一一米同時多発テロはそのことを改めて痛感させた。世界の宗教対立を和らげる手立てはないものか、科学は新たなアプローチになるかもしれない。
昨年十一月中旬、ある月刊誌に連載している村上さんの対談シリーズのゲストに招かれた。学生時代の懐旧談が中心だったが、宗教にも話が及んだ。私は、
「仏教の寛容と利他の教えしか、人類和解の道はないのではないか」とかねてからの考えを言ってみたが、
「君が仏教のことを話すなんて意外だな」
と冷やかされた。村上さんはチベットの法王、ダライ・ラマ十四世とも親交が深く、宗教の国際会議の司会役などもつとめている。サムシング・グレートの深淵に触れ、謙虚に祈る姿勢こそ平和を呼ぶ、という村上さんの思想が、次第に国際社会にも広がっているに違いない、と私は思っている。
対談の帰りに、『アホは神の望み』(サンマーク出版)というユニークな題名の新著をいただいた。年末、版元に問い合わせると、すでに七刷り、五万部を刷ったという。帯に、
〈素直で正直、器が大きなアホであれ! バイオテクノロジーの世界的権威がたどり着いた究極の知恵〉
とある。本を開くと、アホ、バカ、愚か者、でくのぼう、大鈍才、くず、など刺激的な単語が繰り返し出てくる。要するに、アホのすすめ。すいすいとは理解しにくい本だが、村上さんは最後を、
〈アホは神の望みであり、命はすばらしいものである。サムシング・グレートが黙示するその教えを、社会に広く伝えるメッセンジャー役を果たすことが、これから私に課せられた大きな仕事なのです〉
という文章で結んでいた。今年はひとつ、思いきりアホになってみるか。
<今週のひと言>
駆け引きはもううんざりだ。さっさと総選挙をやれ。
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2682 今年は思いきりアホになるか 岩見隆夫

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