丑年・・・”暗闇の牛”とあだ名された政治家がいた。池田勇人総理大臣の弟分で幹事長として池田を支えた前尾繁三郎。政界一の読書家で、竹久夢二の絵の愛好家でもあった。政治家としては高尚過ぎたのかもしれない。池田の後、宏池会を引き継いだが、文人政治家が災いして総理にはなれず、衆院議長で政治生活を終えている。
しかし政治の流れを読む確かな眼を持っていた。池田内閣の成立当座は前尾繁三郎の名はあまり知られなかった。というより池田の弟分で最も信頼が厚い前尾の存在をマスコミが知らなかったというのが正確だろう。
官房長官の大平正芳、首席秘書官の伊藤昌哉、宮沢喜一、鈴木善幸といった人たちが池田政治を担っていると政治記者たちは思っていた。
池田首相が誕生した夜、初めて”暗闇の牛”に会った。東京・信濃町の池田邸の前で酔っぱらった男が玄関の前で行きつ戻りつしている。国会議員のバッジをつけているから、池田総理に祝いの言上にきた陣笠の一人だと思った。
見るにみかねて”暗闇の牛”の手を引いて玄関の戸をあけるとブーちゃんこと伊藤秘書官が出てきた。「前尾先生、ご苦労様です」・・・ブーちゃんの態度が神妙だったので「オヤッ」と思った。
岸内閣で副総理だった益谷秀次氏の秘書官だった辻トシ子女史に池田邸の前の酔っぱらいの話をしたことがある。ブーちゃんの態度がやけに神妙だったことも言った。辻女史は「益谷が幹事長にならなければ前尾よ。前尾のことは宮沢さんに聞いたら・・・」と教えてくれた。
池田にとって大平や宮沢は信頼する秘書の延長線上の存在だが、前尾は最初から弟分だったという。あの酔っぱらいがね?と信じられない思いがした。
夜の前尾は酔っぱらいの”暗闇の牛”だが、朝の前尾は人が変わった様に話し好きの物識りだった。辻女史が予言した様に益谷氏の後、”暗闇の牛”が幹事長になった。酒は相変わらず飲んだが、幹事長になってからは前後不覚になる飲み方はしなくなった。そのせいか、饒舌だった前尾節が失われ、もっぱら聞き役に回っていた気がする。
だから前尾幹事長の本音を聞くには、朝回りをして朝食をともにしながら話を聞く必要があった。その話で今も記憶に残るのは、政治の流れの”時計の振り子論”である。岸内閣で右に振れた振り子が、池田内閣で左に振れている。だが左に振り切れば、時計の針は右に振れ戻ってくる。池田の後継者は佐藤栄作だと言わんばかりの振り子論だった。
そのくせ前尾番の記者の前では、藤山愛一郎氏に政権を譲ることもあるという素振りをみせた。振り子論を封印していた。
戦後政治を大きな流れでみれば、占領政治で左傾化した政治構造が徐々に右傾化する流れだったといえる。右傾化というと戦前のファッショ政治の復活のように左翼は喧伝するが、敗戦という高い代償を払って、また戦前復帰を図ることなどが出来る筈がない。
右傾化という言葉を”保守化”と言い換えた方が良さそうである。経済に軸足を置いた池田政治、田中角栄政治によって、世界で第二の経済大国になり、一億国民が総中流意識を持つ時代になった。国民意識は当然、保守化する。
だから大きな流れでみれば、日本は保守化の方向にある。この日本で窮乏革命論が生まれる可能性はゼロと言ってよい。前尾氏の振り子論は大きな保守化の流れの中で、時には右に揺れ、時には左に揺れるという意味だと理解している。
最近でいえば安倍政治は右揺れだったが、右翼政治ではない。福田政治はリベラルと称され左揺れだったが、共産党や社民党と政権を担うものではなかった。麻生政治は福田政治からみれば右揺れなのかもしれない。それだけマスコミの風当たりが強くなっている。
仮に民主党が政権を取っても、保守化の流れを押し戻すことは出来ない。その意味では時計の針が振れる範囲での政権交代といえる。ただ、野党時代には共闘を組むことがあった社民党や共産党との関係が微妙にならざるを得ない。
だが、現行の小選挙区制度の下では圧倒的な多数を取らないかぎり、与党を組む相手の少数政党に牛耳られる悪弊を生んでいる。自民党が公明党に鼻面を引き回されているのは、あまり評判が良くない2兆円の定額給付金のゴリ押しでも明らかだ。
民主党は参院でも過半数を持っていない。組む相手によっては、政権を取っても短命に終わる可能性が濃い。この辺りから大連立の復活話が出てくるのかもしれない。
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2687 ”暗闇の牛”の振り子論 古沢襄

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