2688 テレポリティックス・09 岩見隆夫

このところ、テレビに生出演する回数がもっとも多い政治家は、自民党から離党確実とみられている渡辺喜美元行政改革担当相だ。渡辺は話術にたけ、中身もわかりやすい。だが、テレビを通じて、
「国民運動をやる」
と繰り返すが、当の国民は、その意味をどこまで理解しているか。画面に映る渡辺の表情をじっと見詰めながら、視聴者はハラのうちを読み取ろうとしている。テレビはこわい。渡辺の勝負どころだ。
テレポリティックスという言葉が使われだしたのは十数年前である。政治家はテレビを通して国民とじかに対面し、印象を操作する、世論形成もテレビ次第、そうしたテレビ政治のことだ。
しかし、政治家側のテレビ研究はまだ不足している。今年も元日から10日間に、数十人の政治家がスタジオに現れ、さらに数十人が記者会見やインタビューをこなした。対決の日が近い麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表もテレビを通じ年頭会見をしたが、双方点数はあまり高くない。
心に響くものが、どちらも乏しいのだ。麻生はわずか15分間の会見で、
「基本的に……」
を10回以上口にした。聞き苦しい。
政治とテレビの関係が始まったのは、半世紀以上前のことだ。1953年2月1日、東京・内幸町のNHK放送会館でテレビ開局の祝賀式が催され、当時の吉田茂首相ら来賓が多数参列した。
この時、ハリウッドから取り寄せたテレビ用ドーランと口紅を出席者に塗ろうとしたが、緒方竹虎官房長官と大野伴睦衆院議長の2人は、
「それだけは……」
と逃げ回り、素顔の出演だったという。
以来しばらくは、テレビから逃げ腰の時代が続く。出演によってアラが目立つ、損をする、と警戒したのだ。一つの転機は、世に名高い佐藤栄作元首相の引退会見だった。
72年6月17日、佐藤は会見場に現れると、
「テレビカメラはどこにあるんだ。私は偏向的な新聞は大嫌いだ。新聞記者の会見はやらんと言ったはずだ」
と突然怒り出し、退席した事件だ。首席秘書官の楠田実があわてて追いかけ、
「新聞記者は一切質問しません。メモを取るだけです」
と説得して席に戻ったが、こんどは記者団が収まらず、「出ていけ」「出よう」の騒ぎになった。結局、佐藤は1人でテレビに向かい、語りかけることになる。
翌18日付の日記で、楠田は、
<「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く」の思い強し>(「楠田実日記」中央公論新社)
と嘆いた。長い間の努力も、終わりぎわの失敗一つで完成しない、という意味だ。騒動のあとに、佐藤の強権的なイメージが残ってしまった。
この事件で、政界はテレビが両刃の剣という印象を強くした。しかし、テレポリティックスの時代に入り、テレビの積極的活用が次第に主流になっていく。
活用術がもっとも巧み、といわれたのは渡辺の父親、美智雄元副総理だ。生前、ミッチーは、
「1にテレビ、2に週刊誌、3、4がなくて5に新聞。政治家の意思伝達の効率はこの順序だ」
と言っていた。だが、伝達は楽でない。
「ぼくは構えないから、絶対に。自然体だ。あたり前のことをあたり前に言うんだ」
と、ミッチーが極意らしいことを語っている。息子はまだその域に達していない。
09年、政治が過熱すれば、テレビは一段と威力を増す。テレビの正体と活用法を、与野党の政治家はもっと探求したほうがいい。(敬称略=毎日)
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