1.ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流プロジェクト
1987年10月4日、当時の皇太子及び妃殿下(現在の天皇皇后両陛下)は御訪米の機会に、マサチューセッツ州フェアヘーブンの一民家をご視察された。
これこそ、自らの善意と人間愛から16歳の難破漁船船員ジョン万次郎をアメリカにまで連れ帰り、この地で教育を受けさせた捕鯨船船長ウィリアム・ホイットフィールドの生家であった。
頭脳明晰で勤勉なジョン万次郎が日本に帰った後、このアメリカでの勉強と見聞を基に開国直前の幕府のリーダー、あるいは維新の立役者となった人たちに与えた影響は計り知れず、近年そのことは広く認識されるようになってきた。
またジョン万次郎(中濱万次郎)とホイットフィールド両家の長年にわたる国境を越えて育まれてきた友情も多くの人々の心を打った。
このことを知った当時の小沢一郎自民党幹事長の呼びかけに応じてジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センターが1990年に設立され、既に18回にわたり、日米両国相互に毎回200名近くの参加者が、4,5日近く相手国のボランティアの家に民宿するプログラムが実施されてきている。
その結果、参加者の間には一種の家族的雰囲気が生まれ、日米間の草の根レベルの相互理解増進に役立ってきている。
そのような活動に参加する人たちにとって、あるいはもっと広く日米関係に関わる日本人にとって、今回のオバマ大統領の選出に至るまでにアメリカ社会がどのように変遷してきたかについて、理解を深めておくことは極めて重要だと思われる。
もっと言えば、世界が歴史に残る大転換期を迎えている現在、世界の経済、政治両面で、大きな鍵を握るアメリカが何故オバマ氏のような指導者を選ぶに至ったか、その結果として、アメリカはどの方向に向かおうとしているかは世界のすべての国々が関心を持っていると言って良い。
2.オバマ大統領の多彩な家族背景
歴代のアメリカ大統領の中で、オバマ大統領ほど家系の上で多彩な背景を持つ人物はいない。
実の父親、バラック・オバマ(1世)はケニア、ビクトリア湖周辺地区でルオ族の一員として生まれ、ケネディ大統領の創設したトム・ムボヤ基金で勉強し、ハワイ大学へ留学し、アン・ダナムと結婚、バラック・オバマ(2世)をもうけるが、ケニアには既に妊娠中の妻がいた。
また彼はシドニー・ポワティエ、ハリー・ベラフォンテ、ジャッキー・ロビンソンその他の黒人有名人の出した教育資金によりアメリカでの勉強を続け、アン及び息子をおいたままハーバード大学に留学、そこでルース・ナイドサンドと結婚し、経済学修士をとった後、ルースと共にケニアに戻り、政府エコノミストとなるが、交通事故にあって片足を失い、ケニヤッタ大統領とそりが合わず失脚、失意の内に46歳で交通事故死する。
実の母、アン・ダンナムについてはオバマ大統領自身、人格形成時に最も影響力が大きかったし、彼女の教えてくれた価値観は現在でも政治の世界に向かって行くときの試金石となっていると述べている。
彼女はカンサス生まれの人類学者であり、地方開発の専門家であるが、彼女の血筋にはイングランド、アイルランド、ドイツとインディアンのチェロキーが含まれているとウィキペディアには書かれている。
彼女の父は真珠湾攻撃の後、陸軍に入り、母はボーイングに勤めたが、戦後、家族は西部各地を転々とし、シアトルで、父は家具セールスマンとなり、母は銀行副頭取となる。1960年家族はハワイへ引っ越し、アンはハワイ大学に入学、そして18歳の時に妊娠3ヶ月でバラック・オバマ(1世)と結婚し、オバマ大統領の母となる。
オバマ(1世)が家族を離れてハーバードへ行った後、アンはしばらく子育てに専念した後、シアトルでワシントン大学、ついでハワイに戻ってハワイ大学で数学を学び、学士、人類学で修士、博士号を取得する。
そしてインドネシア、ジョクジャカルタから来たロロ・スエトロと結婚、息子であるオバマ2世を連れてインドネシアに向かう。
1967年から70年までインドネシアで過ごした後、アンは息子をハワイに戻し、ハワイ銀行の副頭取を務める自分の母のもとで奨学金を受けつつハワイの学校に通わせる。
アンは2度目の離婚後、一旦はハワイに戻るが、数年後インドネシアで人権、婦人の権利、草の根レベルの社会発展活動に尽くすが、卵巣ガンを患い、ハワイへ戻り59歳で死去する。
オバマ大統領が数年間、主にインドネシアで共に住んだ継父のロロ・スエトロはハワイ大学で修士をとった後インドネシアに戻り、陸軍及びモビールオイルに勤め、ものの考え方はアンよりももっとアメリカナイズされていたと言うが、アンとの間に娘が1人生まれているにもかかわらず、アンとは離婚、再婚したインドネシア人女性との間に2人の子供が生まれたが、彼は52歳で肝臓の病気で他界している。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
2690 オバマ大統領と万次郎(1) 渡辺泰造

コメント