2692 オバマ大統領と万次郎(3) 渡辺泰造

4.ケニアとインドネシアの経験
私自身、1960年代の後半にケニアに2年半在勤し、ケニアについて学んだ。またインドネシアには大使として1990年代後半に3年間を過ごした。
このような自分の経験から見て注目すべきはバラック・H・オバマはアフリカ系アメリカ人を父に持つが、多くのアフリカ系アメリカ人のように奴隷の子孫ではないということである。
彼の出身部族はルオ族であり、キクユ族と共に最後まで、英国軍と戦い、マオマオの反乱と名付けられた激しい戦いを展開した誇り高い部族である。
現にケニアのモンバサ港は奴隷の積出港であったが、ケニア人は1人として奴隷とならなかったというのが、ケニア人の誇りである。オバマ大統領の祖父は英国軍の下で働いたが、その間にキリスト教徒からイスラム教徒に改宗している。
さらに実父と別れた後、オバマ大統領が母と一緒に本国であるインドネシアで4年間を過ごした義父も誇り高いジョクジャカルタ出身であり、その父と兄は独立戦争の際にオランダ軍により殺されている。
このような誇り高い部族の血を引き、その影響力を受けたと思われるオバマ大統領を選出したアメリカに対する関係諸国の反応は極めて好意的である。
オバマ大統領当選後、ケニアでは国民が熱狂し、休日が設定された。インドネシアにおける反応も極めて熱のこもったものであった。これらの国々は被植民地時代からのトラウマを引き継いでいる旧被植民地諸国でも極めて影響力の大きい国々である。そしていずれの国々でもイスラム教の影響力は大きい。
このような家族的背景は米国民が好むと好まざるとに拘わらず、旧被植民地国、そしてイスラム教国全体に徐々にではあるが、新しいアメリカに対して期待を増していく効果を生み出すと思われる。
このような背景の下にオバマ大統領がどのような対外政策を打ち出していくかはまだ誰にも分からないが、これまでとは色合いを異にする政策が打ち出されても不思議ではない。
しかし、このような変化も保守的な考え方と勢力を依然残しているアメリカ社会がどこまで許容するかが問題であり、オバマがあまりにも急速な変化を追求したりすれば、異色の大統領ケネディがたどった悲劇が繰り返されないとも限らない。
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