2693 オバマ大統領と万次郎(4) 渡辺泰造

5.多民族共存共同体への道
20世紀は民族国家の時代であったと言われるが、21世紀は異なった形の国家が模索されている。
その中でも、アメリカは限られた数の民族集団が他の民族集団に比べて圧倒的な力と影響力を持つ限定民族優先共同体国家から、多くの民族集団が対等な力を持つ多民族共存共同体国家への変換を長い時間と忍耐をかけて成功させてきた。その大きなステップの一つがオバマ大統領の当選であろう。
現在多くの国が同じプロセスを歩もうとして失敗あるいは苦悩に満ちた道を歩んでいる。ECは新しい形の多数民族共存共同体国家への道をゆっくりと進んでいるが、ソ連はその試みに失敗した。中国、インドその他の新興国ではまだ苦悩が続いている。
アメリカが、オバマ大統領を当選させ、このような多数民族共存共同国家への道を歩むことに成功し始めている要因としては3つばかり上げられよう。
第1には、アメリカの伝統的理念、それは自由、平等、博愛の精神とアメリカンドリームとも言われる将来への希望が含まれる。確かにこれらのアメリカの理念、特に自由と平等という概念は過去において、特定のグループのみに差別的に適用されていた時代もあったが、その根本において普遍性を持っていた。
特に、博愛の精神はキリスト教国共通のものであるという以上にアメリカにおいては大規模にかつ普遍的に実行に移され、私自身、全米各地での募金運動に関わり合って、この考えが、社会全体に深く染み渡っていることに強い感銘を受けた。
このような普遍性を持つ理念の堅持の重要性は入江明教授がアメリカ外交について指摘しているが、この理念がアメリカ社会の中で、数多くの変革が行われたにもかかわらず、受け継がれていることは注目に値する。
第2にあげられるべき要因は、このような社会の変革を許容し、それを取り入れることを可能にする政治システムの存在であろう。
しかもこのようなシステムは外部から与えられたものではなく、アメリカ国民自らが、自分で考え、選択して作り上げてきたもの、そしてそのことにアメリカ国民が誇りと自信を持っていることが特色である。
ソ連や中国の共産主義、あるいは明治以降の日本の政治システムにもこのような独自性は認められない。これらの国々ではこれらの政治システムの基本をなす理念は外部から取り入れられたものであり、国民の中から生まれたものでなかった。
また時代に合わせて変革が叫ばれたときにも常に理念あるいは外国の先例が先ず参照され、先ず手本と合致しているかが問題とされたのみか、社会内部からの変革の試みは政治システムを力によって倒すという手段に頼ることが多かった。
第3の要因として考えられるのはインターネットによる最新の情報伝達送受手段をオバマチームが見事に活用したことであろう。オバマ候補がインターネットを活用して小口の募金集めに大々的に成功したと言うことは広く知られている。
しかし、注目すべきはその結果として今まで投票所に行かなかった多くの選挙民が投票したと言うことであろう。
この新しい情報伝達手段の活用によって、社会の中の不満分子の間に、アメリカが選挙を通じての社会改革を可能とする弾力的な政治システムを保持していることについて理解が深まり、選挙という手段を通じて、自らの希望を満たそうとする動きが盛んとなった。これは、今までになかったことである。
もし、このような近代的情報手段が適切な指導者によって積極的に活用されなかった場合に、現在も深刻化する大不況、そして格差の高まりの中でどのようなことが起きたかを想像することは難くない。
このような手段が整備されていなかった時代には多くの国で一部の急進分子は暴力に訴え、革命の遂行による変革を目指した。
またこのような手段が普及されている国々でも弾力的な政治システムが整備されておらず、指導者がこの情報伝達手段の重要性を認識していない場合には、タイとか、中国あるいはインドなどで見られるとおり、一部の扇動者のインターネットを通じての呼びかけに応じて大規模デモが引き起こされたりしている。
日本ではテロこそ起きていないものの、インターネットを通じての扇動活動のみに目が向けられて、官僚による規制に向かう兆しもある。日本において必要なのは規制ではなく、賢明な指導者による官僚的でないインターネットの積極的活用であろう。
6。日本の進む方向
このように考えてくると、オバマ大統領の出現により大きく変革の度合いを進めるであろう21世紀世界の中で、日本がどのような変革を経て再び活力ある国家として進むべきかと言う質問に対する答えが浮かび上がってくる。
21世紀の世界においては多民族の共存共栄と言うことが必須の命題となってきており、その中でアメリカは他国に対するハードパワーを使っての影響力は相対的に衰えていくとはいえ、21世紀世界において、他民族共存を進めなければならない世界の中で、モデル国家としての評価をますます高めていくと思われる。
これに対して依然として限定民族優先共同体国家である日本が直ちに移民の大量の流入を許して多民族共存共栄国家を目指すことは不可能であるし、目指すべきでもない。
しかし、普遍性のある理念を打ち出し、多くの他民族の人たちのあこがれとなり、日本にいる諸民族と共に過ごしていきたいという気を起こさせる社会を目指すことは可能であり、その結果として影響力が高まっていくことは十分に可能であり、予測できる。
日本では、これまでも自然や環境の保全を通じての平和と安全、そして人間の安全保障全体に関心が高まっている。それらを基礎に、もっとソフトパワー日本として世界の耳目を引きつける理念を打ち出したいものである。
このような理念は自分たちだけで、本を読んでいても生まれてくるものではない。他の国々との間に交流を深め、それを通じて自らを認め直す過程の中で、日本のすばらしさはこう言うところにあるという実感がわいてきて、新しい理念の誕生につながる。
日本は第2次大戦後、最長の被占領国としての時代を過ごしてきた中で、敗戦国としてのメンタリティが定着してしまった。今こそ、日本独自の理念を追求すべきだと思う。
理念は真空の中から生まれるものではない。それは歴史と伝統と、自らの通ってきた道のりの中から生まれてくるものであり、他の共同体に属する人々との積極的な交流と対話にも耐えられるものとする必要がある。例えば、天皇制を八紘一宇のような唯我独尊的なものと解釈するのではなく、どの民族にも共通する祖先と自然環境を敬愛する考え方の象徴としてとらえていくことも一案であろう。
交流と言うことを考えた場合、江戸時代末期から日本に大きな影響を与え続けてきたアメリカとの交流ほど重要なものはない。もちろん経済的にもこれだけ相互依存を深め、相互に利益を享受しながらも、激しい摩擦を繰り返してきたアメリカとの間で良好な関係を持つことの重要性は繰り返す必要もない。
しかしもっと重要なのは、日本が、世界各国の多くの他民族とこれからさらに深い関係を持っていくことが予想される21世紀において、今まで以上にアメリカとの間で成功体験を分かち合っていくことは日本が21世紀に生き抜いていく際に極めて大切だろう。
このように考えてくると、我田引水ではあるがある意味でジョン万次郎・ウィットフィールド記念国際草の根交流事業の重要性は、今後衰えルどころか今後ますます高まっていくものと思われる。(わたなべ たいぞう 元外務報道官 元在インドネシア大使)
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