オバマ米新大統領の就任式(日本時間21日未明)のテレビ中継を見た。演説の部分ぐらいまででいいかと思って見始めたのだが、そのまま朝までテレビの前から離れられなくなって、結局、パレードの場面まで付き合ってしまった。
米国初の黒人大統領の登場という歴史的瞬間ではある。200万人がワシントンに詰め掛けたというから、その熱気たるや日本では想像もつかないものだ。オバマ民主党政権は日本にとって必ずしも大歓迎とはいかない側面を持つ。保護主義や国際貢献での対日圧力も強まろう。「ジャパン・パッシング」「ジャパン・ナッシング」の再来ではないか、といった見方もある。
ではあるものの、テレビ中継にくぎ付けとなってしまったのは、「アメリカ社会における政治の位置づけの重み」に圧倒されたからだ。
翻って日本の政治の現状はどうか。解散時期をめぐる攻防戦が展開され、首相の「ホテルのバー通い」「漢字が読めない」といった次元の話が国会審議にまで持ち込まれる「軽さ」をだれも怪しまない。日米のこの落差をどう見るべきか。
そんなことを考えていたものだから、米国政治における大統領制とはいったいどういうものなのか、その実態を多少でも知るうえで、興味の尽きない中継であった。
オバマ大統領の就任演説は、歴史に残る迫力のある言葉を連発するのではないかと予想していたのだが、それはあっさりと裏切られた。選挙戦を通じて世界に知られることになった「チェンジ」も「イエス ウィ キャン」も飛び出さなかった。たんたんと、落ち着いた、むしろ地味な内容といえた。
演説のうまさが勝敗の決め手ともなったといわれるオバマ氏だが、考えてみれば、これまでの派手な言動は大統領候補としてのものであった。この演説はまさに現職大統領としての内容であって、その転換効果を計算しつくしたうえでのことではなかったか。
*政治リーダーに敬意を払う米国
米テレビでは、スピーチライターは27歳と紹介していた。周辺スタッフがぎりぎりまで詰めた結果がこうした内容だったのだろう。そのあたりの仕掛けはたいしたものと舌を巻かざるを得ない。
演説では「責任」という言葉がキーワードになったように思えた。国家の責任とともに、国民の責任をも問い掛けたもので、これは同盟国や国際社会に対しても向けられたメッセージと受け止めることができよう。
それも「わたし」という表現は避け、「我々」を使った。「我々に求められているのは、新しい責任の時代である」といった具合だ。国に求めるのではなく、どう貢献できるかを考えようと呼び掛けたかつての大統領演説を思い出す。「我々のなすべきもの」を呼び掛けることで、国民の団結心をかきたてたのである。おそらくは、使われた言葉の一つひとつにまで周到な配慮が施されたはずだ。
なるほどアメリカの政治とはこういうものか、とうならされたのは、就任式後に議会内で行われた上下両院議員を中心とした昼食会である。高齢の議員2人が倒れるというハプニングもあったが、この昼食会は共和党も民主党もない。大統領選挙で敗れたマケイン氏もオバマ氏と抱き合った。
党派の違いを超えて、米国大統領という存在に全幅の敬意を払う。これが米民主主義の基本中の基本なのではないか。大統領への敬意は国家への忠誠につながる。星条旗と国歌に象徴される民主主義の大国・アメリカへの忠誠心は、民主党も共和党も同じである。この昼食会はそのことの再確認の場とも思えた。
日本ではどうか。新しい首相が生まれても、野党まで含めて祝福するといった場はない。日本国総理大臣という「存在」への敬意の表明は見られない。首相というのは対抗勢力からすれば、攻撃対象でしかない。
これは議会制民主主義の本旨からすれば、悲しい事実であるといわなくてはなるまい。日本の民主党は結党以来初めて政権奪取の可能性に直面している。これまで、野党は一時を除いてほとんど野党という立場から脱することはなかった。政権交代が不思議ではなくなる時代になれば、首相の地位に対する扱いも変わってくるのだろうか。
*米国のテレビ事情、CNNのおもしろい試み
厳戒態勢の中で行われたホワイトハウスまでのパレード、夜には各所で行われる舞踏会。こうした行事を通じて、アメリカは大統領を軸とした民主主義的政治体制に含まれる正義、公正、秩序、強靭さといったものを、国を挙げて再確認し合うのであろう。
ワシントンでの祝賀行事はこの1日で終わる。翌日から一転して実務的な本格政治がスタートすることになる。
麻生首相はオバマ演説について、「経済危機への認識や国民の潜在力を引き出す手法は一致している。世界第1位と2位の経済大国が一緒に手を組んでやっていけると確信した」と述べた。そこまではいいのだが、問題はこのあと、いつ日米首脳会談が実現するかだ。
さて、わたしは徹夜でテレビ中継に見入ったのだが、米CNNと英BBCを行ったり来たりしながら、アメリカのテレビ事情といったものも見定めようと試みた。NHKも特別番組を組んだが、主体は米ABCの中継を同時通訳つきで使用するというものであった。自前の中継体制を組んだBBCとの違いは歴然としていた。
世界第2位の経済大国としては、この報道体制はいかがなものか。もっとも、日本のテレビが国際社会を向かず内向きに終始しているのはいまに始まったことではないのだが、NHKはせめてBBCと同じスタンスに立った時に初めて国民に理解される公共放送といえるのではないか、という点だけ指摘しておきたい。早い話、世界で何か起きたとき、まずCNNを見なければ分からない(随時、速報体制を取っている)というのでは世界有数の規模を誇るNHKの名が泣こうというものだ。
もう一つ。CNNはおもしろい試みをやった。就任式に集まった群衆に写真の送信を呼び掛けたのだ。いまは携帯電話で撮影してそのまま簡単に送信できる。数千枚の写真が集まったようだ。
これを大きなスクリーンで紹介し、そのうちの1枚を抜き出して、画面に触って操作すると、拡大も縮小も思いのままだ。画素数が格段に高くなっているから、相当に拡大してもはっきりと見える。オバマ氏の一瞬の表情など、テレビ中継では分からないものも出てくる。全景写真から著名な映画俳優など招待者の顔をアップすることも可能だ。
これはIT時代のテレビの方向を指し示している。何台ものカメラで就任式の模様を中継していても、1枚の写真にかなわないということも起きうるのである。おそらくは日本のテレビもこの手法を取り入れるだろう。肖像権の問題などは残るかもしれないが、就任式の中継はさまざまな示唆に富むものであった。
*向こうの民主党、こちらの民主党
オバマ大統領就任式をめぐる国内の反応で、やはり気になったことを改めて付言しておかなくてはならない。日本の民主党の「はしゃぎぶり」である。「チェンジ」のイメージを今後の選挙戦に使おうというのは選挙戦術だから一向にかまわないのだが、党名が同じだから友好関係にこぎつけられるというのでは、勘違いも甚だしいと言わなくてはなるまい。
米民主党は基本的に大きな政府志向である。100年に1度といわれる金融経済危機に対しても、政治・行政がどう関与していくか、監督・規制をどう強めるかといった発想に立つ。そこには、当然ながら労働者擁護、雇用維持の基本理念があるのだが、国内産業を守る姿勢は貿易の側面からすると保護主義に通ずる。クリントン政権時代に日米経済摩擦が起きたことを想起したい。
そのあたりの基本認識を欠いたまま、友好関係樹立に走るあまり、オバマ政権に媚びるような姿勢を取るのであれば、これは墓穴を掘る恐れにつながりかねない。向こうの民主党は日本の民主党と同一の政治信条に立っているとはつゆほども思っていないのだ。そこをわきまえないと、滑稽な事態を招きかねない。
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2766 大統領就任式を見て思う日米の「この差」 花岡信昭
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