2776 神風特別攻撃隊慰霊碑 若宮清

◆我々淡路人にとって夏とは、島祭り、お盆休み、子ども達の夏休み、それと高校野球の甲子園、国にとっては八月十五日、終戦記念日の武道館における天皇・皇后両陛下による全国慰霊祭、平和を愛する人々による八月六日の広島原爆記念行事
◆戦後生まれの私ですが、若い読者に語りかけたい。神風特別攻撃隊って知ってますか。君たちと変わらない二十歳前後の若者がゼロ戦(零式戦闘機)に250キロ爆弾を装填して飛び立ち、米軍の戦艦にパイロットもろとも激突して爆砕する。いわゆる体当たり攻撃である。
◆パイロットは必ず死ぬ。三千人以上という若い特攻隊員が「国」のため、「国」を守るために南太平洋で散華したことを知ってほしい。
私がかって世界を放浪中、必ず「カミカゼ」の話になると、米国といわず中国人までが本音では彼らは高い評価をする。
◆若干のニュアンスの違いはあっても、国家のために殉じた勇気ある行動を共産主義者も社会主義者も民族主義者も称賛する。このような勇気がある民族は必ず復興すると・・・。
◆戦後民主主義、平和、かつての軍国時代を一切否定の日本より、かつて戦った、とくに侵略し甚大なる損害を与えた中国人までが高い評価。私は日教組や教科書がどう言おうが、カミカゼは犬死ではなく世界が評価しているのだと確信していた。
故ベニグノ・アキノの称賛
◆一九八〇年、ハーバード大学でのインタビューをきっかけに友人になった暗殺されたフィリッピンの英雄ベニグノ・(ニノイ)アキノ上院議員は、コラソン・アキノ前大統領の夫でもあったが、勇敢であった日本軍のカミカゼ特攻隊のことを私によく語ったものだ。
◆戦争中の日本軍は、フィリッピンの一般住民にまですざまじい暴虐を加え、今だに憎悪と怨みの思いを持っている人が、今日なお潜在意識において消えないでいる人々が多くいる。
その中でアキノ上院議員はカミカゼを称賛したのは、少年の日に見聞した時の感動が忘れられないからと語っていた。
◆アキノ上院議員が生まれた故郷のルソン島タルラック州の近くのマバラカットに日本軍の航空基地があり、有名な敷島隊の発進基地だったが、ベニグノ・アキノ議員は、それを誇りにしていた。
この敷島隊長の関行男大尉(海軍兵学校七〇期)の記念碑を建立した人物は日本人ではなくフィリッピン人のダニエル・デイソン氏だった。
◆当時十二歳だったデイソン氏は特攻基地から数分の所に家があり、二十歳前後の特攻隊員から可愛がられ、その隊員の勇気と優しさの感銘を忘れられず記念碑を建立したと言う。
その後、デイソン氏はグアム島に移り、小学校の先生をしているが、自宅には特攻隊員の写真や飛行帽を飾っている。学校でも、カミカゼの勇気・純情・素晴らしさを生徒に情熱をこめて話をしている。
◆カミカゼのことを称賛して、今も語り継いでいるフィリッピンの老教師がいることを、日本の若者は知って貰いたい。国のために殉じた青年に対しては国境を越えて、敵国だった国も称賛を惜しまない。
◆フィリッピンの老教師が建立したカミカゼ特攻隊の慰霊碑は、その後、有名な火山噴火による土石流によって火山灰に埋まってしまっている。今度は日本人が再建して、フィリッピンの心に応える順番ではなかろうか。(杜父魚文庫から再録)
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