2787 ハマス育てたのはイスラエル(3) 翻訳:平井修一

1年後の1984年に、イスラエル軍はヤシン師率いるガザのイスラム教徒が武器を集めているというファタハ支持者からの警告を受け取った。これは当時のガザでイスラエル当局が得ていた情報と一致した。イスラエル軍がモスクに侵入して、武器の貯蔵庫を見つけた。
族長ヤシン師は投獄された。投獄されたイスラム教徒を尋問する軍の専門家ハチャムによると、ヤシン師は「武器は対抗するパレスチナ人に対して使用するためで、イスラエルに対するものではない」と話した。聖職者は1年後に解放されて、ガザ全域でムジャマ(ハマスの前身)の活動を拡大し続けたのである。
ヤシン師が逮捕された頃、イスラエルの宗教行政担当のコーエンは、ガザのイスラエル軍と民政当局にレポートを送った。聖職者ヤシン師を「悪魔のような人物」とし、イスラム教徒に対する現在のイスラエルの穏健かつ優遇的な政策はムジャマが危険な力に発達するのを許していると警告した。
「私は、我々が目をそむけ続ければ、ムジャマへの我々の甘いアプローチが将来我々自身を傷つけることになると思っています。この怪物が我々に飛びかかる前に、我々の努力をこの怪物をバラバラにする方法を見つけることに集中させることを提案します」と、コーエン氏は書いた。
軍の情報将校ハラリは、これらの警告は無視されたと言う。「無視されたのは、イスラム教徒を力づけたいというわけではありません。イスラエルはハマスに決して資金援助しない、イスラエルはハマスを決して武装させないということで良いと思ったのです」
イスラエルの国内治安担当を務め、ハマス関係の著書もあるロニ・シェイキドは、ヤシン師と彼の支持者には長期的な見通しがあり、当時その危険性が理解されてはいなかったったと言う。「彼らは、イスラム同胞団計画に従って、段階的に一歩一歩、ゆっくりゆっくりと活動したのです」
1987年に、数人のパレスチナ人がイスラエル人ドライバーが関係する交通事故で死に、これが引き金となって最初のインティファーダ(イスラエルに対する蜂起)が起きた。、ヤシン師と6人のムジャマ・イスラム教徒がハマス(イスラム抵抗運動)を立ち上げたのだ。1年後に発表されたハマスの憲章は反ユダヤ主義を打ち出し、「ジハード=聖戦、アラーのための高尚な死の信念」を宣言していた。
イスラエル当局の関心は依然としてファタハに集中しており、当初はハマス憲章を知らず、ガザのイスラム教徒との接触を維持していた。軍のアラブ情勢専門家ハチャムは、ハマス創設者のうちの1人であるマームド・ザハールをイスラエルの当時の国防相イツハク・ラビンと面談させるために連れて行ったことさえあると回想する。
PLOと距離を置くパレスチナ人とイスラエル当局との間での定期的な協議の一部だった。ザハールは今日生きているただ一人のハマス創設者で、現在ガザのハマスの上級政治指導者である。
1989年にハマスはイスラエルへの最初の攻撃を行い、2人の兵士を誘拐して殺害した。イスラエルはヤシン師を逮捕し終身刑を宣告した。その後、ザハールを含む400人以上のハマス活動家容疑者を集め、南レバノンに追放した。そこで彼らは、イスラエルと交戦状態にある、イランに後援されたヒズボラ(Aチーム)と組んだ。
追放者の多くは後にガザに戻った。ハマスは兵器を作り、攻撃を拡大する一方、ガザでの支持の柱となる社会的ネットワークを維持した。
一方、その敵であるPLOは、イスラエル攻撃への関与を下げ、ガザと西岸についてイスラエルと交渉し始めた。ハマスはそれを裏切り行為だと非難したが、この非難は共鳴を呼んでいる。
イスラエルとPLO は特に西岸で和解を推進 している。西岸は名目上はパレスチナ自治政府の影響下に移行されたが、依然としてイスラエル軍の検問所があり、イスラエルの入植者は増えている。
PLOに突然とって代わったハマスという根強いイスラム教徒ネットワークを根こそぎにすることができず、イスラエルはハマスリーダーを対象とした殲滅作戦を開始した。これはハマスの支持を減らすどころか、かえってハマスを助けることになった。
たとえば1997年に、イスラエルのモサド諜報機関はハマスの追放された政治指導者マシャールを毒殺しようとした。マシャールは当時ヨルダンに住んでいた。
暗殺者たちは逆には捕えられ、そして、彼らをヨルダンの刑務所から出すために、イスラエルはヤシン師を解放することに同意した。ヤシン師は、支持と資金を集めるためにイスラム諸国めぐりに出発。彼はガザに戻り、英雄として歓迎された。
ヤシン師を解放した取引を協議したベテランのモサド将校エフライン・アレヴィは、聖職者の解放は難しかったが、イスラエルには選択肢がなかったのだと言う。ヨルダン作戦の大失敗の後、アレヴィはモサド長官に指名され2002年まで務めた。その2年後にヤシン師はイスラエルの空襲によって殺害された。
アレヴィは近年、イスラエルにハマスと交渉するよう促してきた。彼は「ハマスを押しつぶすことはできる」と言うが、「ハマスを押しつぶすための費用はイスラエルが支払いをためらうほど高くつくだろう」と彼は確信している。
イスラエルの権威主義的な世俗主義の隣人シリアは1980年代初期にイスラム同胞団闘士を絶滅させるための運動を開始し20,000人以上を殺害した。が、彼らの多くが一般人だった。
ガザでの最近の戦争では、イスラエルはそのゴールとしてハマスの殲滅をセットしなかった。目的はイスラム教徒のロケット砲火を停止させて、彼らの全体的な軍事能力をたたくことに制限した。
12月のイスラエルの作戦の初めには、エフド・バラク国防相は、ゴールは「ハマスに厳しい打撃を与え、イスラエル市民と兵士に対するガザから敵対的な行動を止めること」と議会で答弁した。
隣人の家の瓦礫の山から自宅に歩いて戻ってきたコーエンは、ハマスに怒り、更にはイスラム教徒がガザに深く根を張るのを許してしまったイスラエルの為政者の間違いを罵る。
彼は、1970年代に伝統的なイスラム聖職者が、イスエルはヤシン師のイスラム同胞団支持者に協力するのを止めなさいと言ったことを思い出している。「彼は私にこう言ったのです。『さもないとあなたは20年後か30年後に大後悔することになります』。彼の言う通りになってしまった」
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