週刊新潮「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」(09年2月5日号)を読んだ。
・この事件は昭和62年(1987)5月3日午後8時15分頃、阪神支局が襲撃され、猟銃で撃たれて記者1人死亡、1人重傷というもの。
・実行犯は右翼団体を装った池袋の暴力団組長・島村征憲(65)。別件で下獄し、今年1月4日に網走刑務所を出所したばかり。
・島村によると、ある公的な組織の人物から朝日襲撃を依頼され、報酬目当てに引き受けた。この人物は昨年4月に退職しているが実在。
・昭和62年1月24日、朝日東京本社の壁に銃弾発射。同年5月3日、阪神支局襲撃。同年9月24日、朝日の名古屋社員寮に侵入し銃撃(器物損壊)、翌63年3月11日、朝日静岡支局爆破未遂事件を実行した。いずれも平成15年までに時効成立。
・阪神支局を襲撃するために関西の暴力団A組に1000万円で協力を依頼し、アジトと協力者・ヨシダを得る。
・逃走経路の確保など試験走行を繰り返した。決行まで支局の人の出入りをチェックし、公衆電話で支局に電話をかけるなどして、休日が人数が少ないことを確認し、5月3日に襲撃することを決めた。
・オートバイ2台に分乗し、ヨシダが運転する車には島村が、ヨシダの舎弟の運転する車には島村の子分のマモルが乗り、島村は猟銃、マモルは拳銃を携行。
「以下次号」ということだが、島村は刑務所から朝日新聞社に手紙を出している。年輩と若い記者が面会に来たが、若い記者が「あんたね、うちの小尻(記者)を殺しといて、なんだよ、その態度は!」と喧嘩腰で怒鳴ったので話すのが嫌になったという。朝日はスクープを逃したのかもしれない。
島村の話が真実かどうかは分からないが、島村が週刊新潮に話を持ち込んだのは金のためだろう。出所直後で金に困っていたろうし、「ある公的な組織の人物」に無心して断られたかもしれない。復讐してやろうという気分もあったかもしれない。
今のところこの記事にマスコミは触れていないから、半信半疑なのだろう。真実ならば新潮の大ヒットだ。
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