8月11日(土)。池の平小屋常連の加藤孝子さん(岳人7月号に単独行の名人と紹介された)さんの、理科大山岳部の仲間が3名北方稜線をめざし宿泊。その他に若者Gr、2組のペアーなど、久しぶりに賑やかな夕食だった。<11-1>
8月12日(火)、晴れ。テントの加藤拓さん(盛岡出身の東北大生)話を聞くと、休学をして4月2日に鳥海山に登り、その後、日本列島の背稜部の峰々を登り続けて、屋久島まで歩いてゆくのだという(9月はじめ、親から行方不明の届出があり、池の平小屋にも問い合わせあり)。無事に屋久島まで着いてくれるとよいが。彼には、お客さんからタバコ(2名)、小屋からビール、オレンジなどのカンパがあった。
長谷川さんのご主人、友人と1泊。この日、海上自衛隊で潜水艦勤務の青年宿泊、興味ある話を聞く。晴天続きで水の出、細くなる。<04-4>
8月13日(水)晴れ。この日、北方稜線に向った客1名、夕方戻ってくる。どこをどう歩いたのか全然分からないという、帰るときも、反対のほうに歩き出すし、このような方、今年2名。昨年も1名いた(この方は昨年大怪我をしたが、今年2回、雪辱きたが2回とも途中下山した)。登山の基本を学ばず、北方稜線の名前に憧れる、遭難予備軍が時々見られ心配だ。教授と呼ばれる山田さん若い女性3名連れて逗留。明るい方たちで夜は若やいだ声に満ちた。<08-11>
8月14日(木)雨。15日ぶりの雨、小屋にとって恵みの雨であった。大雨のなか大きな荷物のテントの方(若いご夫婦)が逃げ込んできた。帰りしな、小屋の何でもノートにこんな手記を書いた。「突然の雷がふたりをこの小屋に連れてきてくれました。外は大雨でしたが、とても楽しい夜で、冷えた身体も心もポカポカあたたかくなりました」(奥様)。「すばらしい出会いをありがとうございました。悪くない雨でした」(ご主人)。管理人にとって嬉しいコメントでした。<05-1>
8月15日(金)、雨。池の平小屋のボランテァが多い、関東の蛍雪山岳会のメンバーが真砂沢での夏山合宿のついでに泊まりに来る(7名)。なんとも賑やか、彼らの作ったソーメンの美味しいこと、元気なこと。<1-3>g
8月16日(土)雨。蛍雪の仲間下山、冨岡君一人ボランテァで残る。<01-0>a
8月17日(日)雨。宿泊ゼロ。ボランテァの冨岡君退屈そう。<0-1>a
8月18日(月)晴れ。サンショウウオの産卵沢山観察。宿泊ゼロ。ボランテァの冨岡君、暇をもてあまし下山。<0―2>
8月19日(火)雨。グリーンパトロールの矢澤、谷口の2名宿泊(池の平山ピストン)。この日、白馬大雪渓で崩落事故発生との情報に接する。(オイル交換)。<0-0>b
8月20日(水)曇り。宿泊ゼロ。<0-0>
8月21日(木)。中川さん(京都、連泊)、昨年北方稜線に挑んだが敗退、今回はルートの研究に来たとの事。<3-3>
8月22日(金)晴れのち曇り。突然息子の岳(たかし)が同僚の女性と2名で訪れる。つい、今年は不景気で客が半分以下と洩らしたら、ポンと4万円置いていった。息子にたかったようで後悔した。(連泊)。<4-3>
8月23日(土)曇りのち霧雨。息子達池の平山ピストン(こののち、阿曽原、宇奈月に泊まった息子、26日夕方、東京駅から電話をかけてきた「お父さん、一緒に行った人と結婚する予定だけど」。「え、あ、そう、おめでとう」鈍い父親はただただ、対応不届きで驚くばかりだった。<02-1>
8月24(日)曇り。この日頃より、ルリボシヤンマの羽化多くなる。宿泊ゼロ。<0-2>
8月25火(月)曇りのち晴れ。風呂場、玄関コンクリート打ち。小黒部谷側通路に古材木敷き。宿泊ゼロ。<0-0>
8月26日(火)霧雨。長谷川さん、落としたレンズの修理で下山。宿泊ゼロ。<0-0>
8月27日(水)晴れ。サルの大群6回目の訪問。小屋周り草刈。水場補修。客室棟、コンクリートむき出し部にベニヤ張りと、お客さんがカイコ棚の梁に頭を思い切りぶつけるのでクッションの貼り付け作業に入る(2週間かかる)。宿泊ゼロ。<0-0>
8月28日(木)曇りのち霧雨、夜雨。手洗い容器、水槽受け容器に蛇口取り付け。宿泊ゼロ。<0-0>
8月29日(金)霧雨、夜降雨。エンジン不調。水ホース修理。降雨続きかトンボの羽化の失敗が多い。長谷川さん仙人湯泊まり。宿泊ゼロ。<0-0>
8月30日(土)霧雨から小降る。池周り草刈。長谷川さん14時頃戻る。<0-0>
8月31日(日)。宿泊ゼロ。<0-0>
9月1日(月)曇り。私が若い頃に仲間と作った「茜山岳会」の元会員の田中三重子さんのご主人(スキーアルピニズム研究会、その昔、山岳画家の熊谷榧さんらと御嶽山でスキー登山を楽しんだことがあった)の田中和夫さん(60歳)、ヒョッコリ遊びに来る。昨年5月はスキーで池の平山に登ったとのことだった。さらに真砂沢の大工の松田さん(名古屋)とバイトの大根田君宿泊。<06-1>a
9月2日(火)曇りのち雨<01-0>
9月3日(水)晴れ。仙人ヒュッテの志鷹静代さんヘリで入山。息子さんに「頼むから、死ぬまで上がってくれっちゃ~」と懇願されたとのこと。<01-1>
9月4日(木)晴れのち小雨。韓国の国営放送KBS、6名予約だったが霧のため予約取り消し(予約のとき、しきりに値切り交渉された「小屋の宣伝になります」と)。室内コンパネ張りほぼ完了し小屋内が落ち着いた。宿泊ゼロ。<0-0>
9月5日(金)晴れのち曇り。釣鐘を寄贈された、邑上、大工原両氏、ガイドの稲葉英樹さん(立山ガイド協会、立山町、44歳)の案内で上山してきた。大工原さんは、阪大の山岳部の頃から池の平に通っているというから、もう50年も池の平を見つめている事になる。邑上さんと、大工原さんは高校時代の同級生という。<03-0>
9月6日(土)曇り。20年もお付き合いしている仙人ヒュッテの静代さんに挨拶に伺う。顔にも、声にも張りがあった。が、昨年小屋締め後、芦峅の自宅を訪ねお茶をご馳走になったのだが(私は、隣の民宿に宿泊)、そのことを忘れていたのには、静代お母さん大丈夫と心配してしまった。<02-0>
9月7日(日)終日雨。<02-1>
9月8日(月)霧のち晴れ。池の平小屋で毎年1回だけの北方稜線ツアー(毎日旅行)宿泊。案内人はいつも長野豊科のガイドの畠山憲一郎さん(以前槍ヶ岳山荘の従業員)。このパーテェは、参加者のレベル差が大きくガイドさんは大変と同情してしまう。知人の東京交響楽団の主席チェロ奏者のボーマンさんヒヨッコリ現れる。2月に八方尾根でテント生活以来だ。<13-0>a
9月9日(火)晴れ。村上、大工原さん4泊され、仙人ヒュッテに移動される。オイル交換。宿泊ゼロ。<0-1>
9月10日(水)快晴。常連客の地元の中村さん、単独で白萩から大窓経由で宿泊の予約あるも、時間切れで大窓より引き返すとの連絡あり。馴染みだけに、暗くなるまで着かないので心配したが、連絡をえて安心する。宿泊ゼロ。<0-3>
9月11日(木)快晴。朝日新聞の平林さん、沢山ボッカして入山(ルート間違え13時着が17時過ぎとなり心配する。連泊)。鉱山道、小窓ルート草刈。宿泊ゼロ。<0-1>a
9月12日(金)常連の石井さん(東京)、昨年は、常連の中村さん(富山)と田中ルートから剱岳に向われたが、今年は剱岳から田中ルートで到着。その前に着いた山岳警備隊の班長「1名ルートでないところを歩いている登山者、こちらへ向っているから、危ないな~」と報告があったが、あのルートを歩くのは石井さんしかいないなと思っていたら、やはり石井さんだった。
「草付きのあたりが崩れて、歩きにくくなり、苦労した」。石井さんは、縦走派で、例年大きな荷を背負い槍穂高からやってくる豪の人である。昨年は、池の平小屋で還暦の誕生会をしてお祝いをしたのだが、若い頃は、ヨーロッパでヒッピーをしていた経歴をもつユニークな人である。池の谷のガリでボーマンさん会い、流暢な英語で話しかけたら「ワタシ、ニホンゴワカリマス」との返事があったとのこと。 <01-2>
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2837 私的な池の平小屋備忘録(2008年 4) 菊池今朝和

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