10月1日(水)宿泊ゼロ。晴れ<0-0>
10月2日(木)。池の平も紅葉が進み、カメラマンの問い合わせがしきり。地元のカメラマン高橋敬市さん差し入れをもって登場。この頃から、どのような理由か、訪れるにお客さん「山岳写真家の畠山高プロ来てますか、何時来るのですか」と何度も訊ねられる。<02-2>a
10月3日(金)。長谷川さんのカメラ仲間の群馬の神戸さんGr3名逗留(連泊)<06-3>
10月4日(土)。白馬の名高きガイド水越健太さん(大町登山案内人組合、白馬村)お客様を1名案内し宿泊。私の第二の故郷、白馬村在住のガイドさんが、友人を通しての宣伝が利いたか、増えてきたのは嬉しい。<14-2>
10月5日(日)曇りのち雨。前夜宿泊の井出さん、帰るとき雑談していたら、昨年10月8日の洪水で遭難死者が出た話になった。その時の様子は遭遇した、常連の岡山の女性Grの中山さん、中村さん(倉敷山の会)と同じく常連でボランテァの根本女子(長年槍ヶ岳の東京慈恵会医科大学槍ヶ岳診療所に看護士として勤務)から聞いていた。
一人流されたあと細綱にすがった後続の男性が橋から流されたという。「渦巻状の流れに落ち、洗濯機に入った状態になり、グルグル廻りながら沈んだ。持っていた細綱は身体に巻きつき、両手も効かず、もう駄目かと思ったとき、足が水中の岩に触れたので思い切り蹴ったら浮上し近くにいた人に助けられた」。なんと偶然にも助けられた登山者が井出さんだった。井出さんは、ロング缶片手に来夏また来ますと爽やかな笑みをみせた。
同じく前夜宿泊した、労山の2人ずれ、今晩は仙人温泉とまりということで、午前中に池の平山に登り、ノンビリと昼過ぎに出発した。16時ころ電話があった。「ポシェットを庭のテーブルの上に忘れたのですけど」。探しても見当たらないので、仙人温泉に電話を入れたら、仙人峠で休んだ時かもとの返事。中には、財布が入っており、カードなど全財産が詰まっているとのことだった。
気の毒におもい、傘をさし峠に20分程度で着き、あたりを探したけれど無かった。仙人ヒュッテ泊りのお客さんが、同ヒュッテに届けることも想定されたので、ヒュッテいってみると、超満員。でもそのような届出は無いとのことだった。そこで、ヒュッテから再度仙人温泉小屋の斉藤さんという女性に電話をいれたら、デジカメで確認したら仙人ヒュッテ下の水場付近まで腰につけていました。その辺で、暑くて上着を脱いだので、その時外し忘れたかもしれませんとの返事。
もう、日も落ち暗くなってきており、懐中電灯も携帯していなかったが、涙声の彼女を思うと、ここまで来たのだからと、10分程下ったら、薄墨のなかにぼんやりと塊りが見えたので、近づいてみると懸案のポシェットだった。仙人ヒュッテから、翌朝6~7時の間に届けるとの3回目の電話を入れ、雨の中、池の平に手探りでもどった。この晩は、とても仲の良い母娘1パーティのみ(神奈川)で静か。<02-1>
10月6日(月)曇りのち晴れ。朝5時過ぎに出発し、6時過ぎに仙人温泉に着くと、涙の止まらない斉藤さんの顔があった。しばし、私も見つかってよかったとの安堵感で満たされた。この夜、常連でカメラオタクの藤原さん(連泊、大阪)と、今年2回目の中川さん(連泊、京都)が高級ウイスキー「山崎」を持参し、また常連で真砂沢の助っ人の松田さん(連泊、名古屋)が大きなカメラを抱え宿泊。
紅葉談義に花が咲く。ちなみに藤原さんの仕事は写真屋ですが、宿帳には空き缶回収業とあり、年齢も15歳ほど鯖を読んでいた。彼はお客さんではNo1のダジャレ家である。2番目は冨岡さんか(疲れる)。<04-0>
10月7日(火)晴れ。紅葉盛り。プロのカメラマンの森下さん(連泊)や山岳雑誌で活躍の女性アマチァカメラマンの三間さん(3泊)や白旗史朗賞のグランプリを獲得された新保さん(3泊)など、多彩なカメラマンが集った。また、地元のケーブルテレビ会社(新川インフォメーションセンター)の片倉、米澤氏取材で宿泊。<12-2>
10月8日(水)晴れ。この日は、今年の最高齢の宮嶋さん(77歳)、常連の元谷さん(大阪、連泊)、それにプロの写真家では畠山さん(東京、3泊)、佐々木さん(富山、連泊)、三枝さん(神奈川、連泊)、それに女流山岳カメラマンとして注目の根岸さん(富山)など、沢山のカメラ愛好家が最高の紅葉を舞台に集った。またこの日のお客さんには難しい名前の方が多かった。蹴揚(けあげ)さん。姥貝(うばがい)さん。杏(からもも)さんで、そのほか今期、旭岡さん(ひのおか)、女部田さん(おなぶた)、巨山さん(きょやま)、姫城さん(ひめぎ)、西埜さん(にしの)、羽馬さん(はま)などが、漢字グルメの私を困惑させた。
暗くなり始めた、夕食前に事件がおきた。地元富山の二人ずれの一人が「相棒が、1時過ぎに展望台にいったのだけど帰らない」。「えっ、また鉱山道、展望台まで往復1時間もあれば帰れるのに」と悪い予感がひらめいてしまった。
即、ザックに食料、懐中電灯、ザイルなど詰め込み、長谷川さん、畠山さん等に、訳を伝え「捜しに行ってきます、従業員一名しかいないので、お手伝いお願いします」と駆けた。展望台近くで一人トボトボ歩いてくるのが見えた。
名前を確認し、遅くなった理由を尋ねると、道が続いていたのでそのまま小窓まで行き、写真を取っていたという、返事だった。ほっとしたと同時に怒りが湧いてきた「あなた、いい歳して、なにを考えているの(58歳)」。「すいません」。「今何時だと思っているの」。「すいません、雲の上がるのを待っていたら、遅くなりました」。「相棒はじめみんな心配しているよ。この忙しい時に」。「懐中電灯持っているの」。「無いです」。
「先月も、この先で一人転落して亡くなっているんだよ」。「すみません」。「とにかく、無事でよかった、皆に迷惑をかけているのだから、小屋に着いたらちゃんと謝らなければだめだよ」。「はい」。はじめ苦笑いしていた彼も、だんだん事の重大さに気づき頭を垂れ始めた。薄闇のなか、小屋に近くなると、広場にいた7~8人のお客さんから拍手があがった。彼はその後、ひとりひとりに謝り、さらに食事のときも頭を下げ、一件落着。恒例の宴会となった。この日は、今期2番目の混雑となった。<22-0>
10月9日(木)曇ったり晴れたり。この日、邑上さん(5泊)が、紅葉を見に三度目登場となった。この日も、写真目的の連泊者で賑わった。<10-3>
10月10日(金)曇りのち晴れ。真砂小屋営業終了。ハシゴダン乗っ越方面の橋撤去。薪拾い。この日も紅葉の写真撮影が目的の方が沢山みえた。昨年トイレ造りを手伝った、磯崎さん(静岡、連泊)がやっと来た。事業を営んでいる彼は「なかなか休めなくて」と柔和な笑みを浮かべた。この晩は、プロのカメラマンは畠山さん一人、彼を囲んで賑やかな写真講義となった。2回薪拾い。<15-1>
10月11日(土)曇りのち午後雨。エンジン2台のうち1台故障になる。この日も紅葉の写真撮影が目的の方が沢山みえた。岡山の応援団の中村さん今期2回目の手伝い入山(遠くから有り難う)。また、9月22日の木村逸子さんの遭難の折、同泊され、遺体収容などに献身された、福井の小林さんが仲間と追悼に上ってこられた(彼は翌朝、遭難現場に行かれ鎮魂の回向をされた)。後日、小林さんから頂いたお手紙には「事故場所で、木村逸子さんの慰霊を済ませて小窓の雪渓を覗き込むと、前は感じなかった恐怖感がありました。人間はなぜ危険を冒してまで登りたいのだろう思うのと、剱岳を眺めながらあらためて剱岳の険しさを感じました」とあった。
さらに、池の平小屋の語り部の高橋さん(64歳、女性)が健脚で今期2回目の入山(その昔、田中さんが小屋を守っていた頃にバイトの経験あり。連泊、東京)。この日、今期最高の宿泊客。薪拾い。<27-19>a
10月12日(日)晴れ。この日も、紅葉を楽しみに来た方が多かった。池原Grの文山さん、単独で池の谷南股を登ってきた。8月に池原さん達と、同コースで入山したが体調悪く落伍。今回は雪辱戦で、単独で来たと言う。成し遂げて笑みが晴れやかだった(下山は、早月尾根)。<21-25>a
10月13日(月)晴れ。営業終了日。蛍雪山岳同志会のボスの加藤さん(昭和44年、池の平小屋で結婚式を挙げられた)、亀谷さん(元日産のエンジニャ、大工も上手く、器用、小屋締め昨年に続き2回目、64歳)、それに、初参加で、東芝山岳会の佐藤さん、小元さんの5名、早月小屋より北方稜線コースで、小屋締め手伝いで差し入れを担ぎ着く。
また、今年4回目のボッカ登山の橋本君入山。念願の終了日、やっと肩の荷も下りホットする。今年14泊とお世話になった邑上さんも今晩で下山である。料理も酒も潤沢で、さらに燗つけ担当の小元さんへ「熱い」、「ぬるい」との丁々発止。ついに彼は時計を睨みタイムスタデーとなった。ついに適温は燗つけ時間5分35秒?と結論が出た(所詮、酔っ払って計ったから参考値ですね、小元さん)。仙人ヒュッテも今日で営業終了、裏剣も静かになる。二股の橋撤去。
実は、この日池原隊の3名南仙人谷から小窓経由で来るはずだったが、雪壁と岩壁にルートを閉ざされ退却した。池原さんのホームページ「とやま山歩記」には「もう大窓越えは無理だと諦めがつくまで、もたもたと時間を使った。11時50分、撤退を決意。早く降りて小屋に電話を入れないと心配する。降りるのに足は重く気分も重い。リュックに詰まった、3人の小屋へのお土産はさらに重かった。馬場島はひっそりとしてシーズンの終りを告げていた。小屋へのお土産を半分自棄気味にそれぞれ分け合って食べる。
BOWの誕生祝いのロールケーキにもナイフを入れた。まな板が馬場島の駐車場のコンクリートの上というのが今日を象徴している」。お疲れさまでした。<1-3>e
10月14日(火)晴れ。早朝、颯爽と邑上さん阿曽原めざし下山。棟間屋根撤去。布団干し。昼前、仙人峠よりの坑道と池の平の見所を案内。午後、ボランテァ全員を小窓雪渓近くの坑道へ案内した。帰途、9月22日の遭難事故対応で鉱山道のロープ撤去。午後、冨岡君入山。管理棟等の荷物、宿泊棟へ移動。雨樋、乾燥室前ひさし撤去。(棚卸を含め3日掛かる)。<2-2>e
10月15日(水)晴れ。布団干し。風呂移動。乾燥室整理。朝起きると、チンネはじめ八峰が白くなっていた。今期二度目の降雪であった。橋本君下山<2-1>d
10月16日(木)晴れ。水ホース片付け。布団整理。最後の露天風呂。筋交い入れ(風呂場、トイレ、乾燥室、発電室、台所)<1-1>d
10月17日(金)晴れ。筋交い入れ(管理棟)。コンパネ打ち。10時下山開始。仙人峠は小屋の者たちは「見返り峠」という、ここを下りれば池の平の象徴である鋭鋒「チンネ」や「モンローの唇」が2度と見えなくなるからである。仙人池で休憩後、13時仙人温泉着。富山の山田さん池の平まで届かず、仙人温泉の小屋締めをしていた。我々も小屋締めの手伝い後、露天風呂、夕食を頂き宴(池の平小屋関係6名、温泉小屋関係7名。ロング缶6本、コンビーフ持参)となった。この日は、仙人温泉のボランテァ3名が牛肉などを沢山担ぎ上げたので、久しぶりに美味しい肉を味わった。同小屋泊まり。仙人小屋付近は紅葉の盛りだった。
10月18日(土)。晴れ。朝食後6時、同小屋発、2時間で仙人ダム着。ダム近くには野菊が咲き、顎を上げると来た道の方向はまさに錦秋であった。風もさわやかで、110日間の山での苦労も霧散するように感じられた。昼に宇奈月に着くと、長谷川さんのご家族3名が車でお待ち。新潟の温泉に向われた。小屋締めの4名も、亀谷さんの車に便乗し関東を目指し旅立った。この時一気に、安堵と寂寥感に
おそわれた。10月18、19日の2日間宇奈月で会計報告などを行い、20日、109日ぶりに家に帰る。
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