雪の河豚豈(あに)一命を惜しまんや
よく知られた川柳である。江戸っ子はいかにも勇ましい。ことわざに“河豚は食いたし命は惜しし”とあって,こちらはじれったい。
河豚知らず四十九年のひが事よ
と嘆いている俳句もある。江戸時代なかば,召波という俳人の句で,毒が怖いばかりに五十になんなんとする歳まで河豚を口にせず,その味を知らなかった,なんと愚かなことだったか,というのだ。
つぎの小林一茶の句もこれと同工異曲だが,坦々としているぶん,含蓄に富んでいるような気がする。
五十にてふくとの味を知る夜かな
“ふくと”が河豚をさす。
河豚をめぐっての悲喜こもごも――これは,ひとつの文化といっていい。その奥深さの一端に触れたいというのが,前に掲げた「毒のない河豚」につづいて河豚をとりあげるゆえんである。
この文章では“河豚”と書いて“フグ”と読ませている。和名を“フク”といい,古くは“布久”と書いたらしい。関東でフグと濁るのは,近世,江戸を中心として盛んに食べられるようになってからだといわれる。
“フクベ(布久閉)”ともいい,これは怒ってふくれた形がウリ科のフクベ,つまり瓢箪にも似ているところからの命名らしい。
一茶の句にあるように“フクト”や“フグト”,“フクトウ”などともいう。トやトウというのは,魚をさして“おトト”という幼児語に由来するのだろう。この場合は“河豚魚”と漢字をあてる。
ほかにもフグを表わすには“鰒”や魚偏に屯と書いたりする。後者は,ぼくのパソコンの辞書に入っていないが,いまは河豚と書くのが一般的な漢字表記だろう。
そう思って机の上にたまたま載っていた三省堂の『新明解国語辞典』を引いてみた。すると,意外にも見出し語に魚偏に台という旁(つくり)の漢字が掲げられている。正直にいうと,この漢字をほかで見た記憶がない。わがパソコン辞書にも載っていない。
語義の説明は飛ばし,『新明解国語辞典』から用字法の引用をつづけたいのだが,パソコンではちょっと無理がある。あえて試みれば,
“古くは「・」「・☆」とも書いた。江戸時代以降は,「鰒」「河豚」”
記号で代用した「・」には魚偏に侯という旁の漢字,「☆」には,ちょっとややこしいが魚偏に頤の偏(左側の臣に似た字)をつけた漢字が入る。もちろん両方ともパソコン辞書に収録されていない。後者など,手持ちの数種の漢和辞典を総当たりに当たり,これ以上大きな漢和辞書は家にないという大修館書店『廣漢和辞典』に至って,はじめて発見できたシロモノなのだ。
悪戦苦闘の末にこの字を確認した感慨は,「う~ん,やはり河豚は奥が深い!」である。
しかし普通,例えば『岩波国語辞典』などがあっさり河豚という漢字しか掲げていないのに対し,なぜ『新明解国語辞典』は一般人がまずお目にかかったこともないような難解な漢字を掲げたのか? たしか『新解さんの謎』といったタイトルの本が出まわっているはずだが,これも新たな謎である。『新明解』も奥が深い。
“江戸時代以降は,「鰒」「河豚」”と書いたとある。“鰒”は,ふっくらとふくれた魚の意。では“河豚”は,なぜ河の豚なのか?
この用字は中国から伝来したもので,日本では海でとれるが,中国大陸では黄河や揚子江などの河川で多くとれるからだ。“海豚”と書くとイルカをさす。
豚の字は中国ではイノシシをさす。イノシシを家畜化した豚のように美味だからとも,怒るとまるまるふくれるからとも,あるいは敵に出会うとブーブー鳴いて威嚇するからともいわれる。
鉄砲をおそれて一人茶づけめし
という川柳がある。ここでいう“鉄砲”とは河豚のことで,みんながうまそうに河豚鍋でも囲んでいるのに,ひとり毒あたりを恐れてお茶漬けをかきこんでいる場面をとりあげている。
鉄砲の弾にあたる,命を落とす。河豚の毒にあたる,これも命取り。そんな単純な連想からついた河豚の異称の鉄砲は“テツ”と略され,河豚鍋を“テッチリ”,刺身を“テッサ”などと割烹で呼ぶ。
鉄砲の弾が体にあたることを“命中”という。医療が発達していない昔は,ほとんどの場合,致命傷となって命を落とした。的にあたれば“的中”である。この“中” は“アタル”と訓読みする。だから“中毒”とは,まさに毒にあたることだ。いま漢字を使うと毒に“当たる”と書く人が多いが,毒に“中たる”と書くのが本来だろう。
おもしろいことに,千葉県の銚子地方では河豚を“トミ”と呼ぶという。これは富籤,つまり宝くじだ。あたるあたるといわれながら滅多にあたりはしないという含意らしい。
別に銚子あたりに昔から毒のない河豚が多く棲息していたわけではない。有毒の河豚も目や皮や内臓――とくに肝臓や卵巣など毒のある部位をていねいにとりのぞき,無毒の肉や白子(精巣)をよく水洗いして適切に調理すれば,そうそうあたるものではないという意味だろう。
しかし,河豚と総称される魚には種類も多く,日本近海産で二十七種とも三十種ともいわれる。世界中では,およそ百種。種類によって毒のある部位や,毒の強弱が違ったりするから面倒だ。まず種類の特定が必要になる。外国産魚介類の輸入や外国船からの洋上買い取りが多いこんにち,河豚の鑑別にはかつて以上の専門的な目が必要とされている。
たとえば鯖河豚という一種がある。これは無毒。ところが一方,毒鯖河豚という種類もあり,こちらはふつうの河豚には毒がないとされる肉にも猛毒がある。無毒の鯖河豚とはまったく逆に危険きわまりない。ベトナムから台湾にかけての東シナ海に棲息し,外見上,鯖河豚と見分けをつけるのはむつかしい。
図鑑でこの二種が並んでいるのをみたら“容易に見分けられる”と書いてある。ところが,どんなにまじまじと見ても実にソックリで,素人目には見分けがたいのである。
要は,鑑別も調理も専門家に一任し,美味を満喫するに徹すること。
しかし専門家に任せても事故は起きる。そんな不幸な例のひとつに,歌舞伎役者の八代目坂東三津五郎の中毒死がある。食通として知られたが,一九七五年(昭和五十)一月十六日,贔屓の人たちと京都の料亭で河豚を食べて死んだ。
日ごろの口癖が,「おれは江戸っ子だ。江戸っ子にゃ,河豚の毒もかないっこねえ」
食べるのも遊ぶのも芸の肥やし。この日も「河豚の毒なんか」とうそぶきながら食べたにちがいない。四人前の肝をである。危うきに遊んで死んだ,という感が深い。
芭蕉にも河豚の句がいくつかある。そのなかの三句を並べる。はじめのうちは,
ふく汁や鯛もあるのに無分別
などといっていたのに,
あら何ともなや昨日は過ぎてふくと汁
と,ひとたび味をしめ毒への恐怖が薄れてしまえば,あとはもう,
ふく汁や阿呆になりとならばなれ
最初の句は芭蕉作と誤り伝えられた無名氏の吟らしいが,俳聖芭蕉も河豚にあたって死にこそしなかったものの,けっきょく河豚の虜になった。“阿呆”になったのである。
その三昧境には,“雪の河豚豈一命を惜しまんや”という危うい一線が常に存在していた。(杜父魚文庫より)
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2855 危うきに遊ぶ 吉田仁

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