江戸時代から長く幕府や宮内庁の材木置場だった猿江(さるえ)恩賜公園には東京湾の風が届く。ここは深川である。
貯木場はその後、昭和天皇・皇后両陛下のご成婚記念として宮内庁から東京都に下げ渡された。だから「恩賜」なのだ。埋め立てられて様々な樹木が植えられている。
春。紅梅に続いて白梅も散り初めている。秋に葉を落とした欅(けやき)、楢(なら)、椚(くぬぎ)、桂(かつら)、落葉松(からまつ)、メタセコイヤそれに公孫樹(いちょう)も桜も芽を吹いていない。その中に4メートルほどの高さの木3本。まるで飛んできた黄色い埃が一面にくっついたように花を咲かせている。
近づいてみると木札がついていて「さんしゅゆ」とある。本当は数年前に見つけたのだがすっかり忘れていた。記憶力減退、呆け、どちらでも同じだ。牧野富太郎の「原色牧野植物大図鑑」に載っている。それに依れば別名を「ハルコガネバナ」という。中国か朝鮮から江戸中期の享保年間に薬用として渡来した。
なるほど「葉より先に花が咲く」とある。枯れたような枝のところどころに黄色い綿毛のようにくっついてるのが花なのだ。これに欅の数十本がかぶさるように植えられているのだが、残念、いま欅は葉がないから「さんしゅゆ」は朝日を一杯浴びて、思いなしか誇らしげだ。
気をつけて見回すと雪柳ももう白い小さな花をつけ始めたし、紫陽花(あじさい)も花に夜逃げされたような汚い株から黄緑の芽が出始めた。2月もすでに下旬。蕾の膨みは目には見えぬが、桜、今年は早そうだ。この公園は埋め立て整備されて30年近く経つ。
植えられた桜も公孫樹も幼木だったろうが、いまや「鬱蒼」という印象すらある。その公孫樹こそ何の兆しも春を感じさせないが、これから雨がちょくちょく降るようになると、突然のように芽をふく。
明治に入って初めて江戸を見たイギリスの植物学者が、中国が北限と思い込んでいた公孫樹が日本にもあったので吃驚した、という話を何かで読んだ事がある。あるどころか今は東京都の公式マークだし、東大のマークにも使われている。但し公孫樹は葉の黄金色こそが独壇場だから秋の華というべきか。
桂。若い頃駐在していた秋田県大館(おおだて)市に県立桂高校があった。昔の城が桂城だったそうだ。だが酒を呑んでばかりで、桂の木を確かめたことはなかった。50年後、深川のこの地で桂を見た。落葉樹はいいが木肌は汚いと言った方が早い。葉が出ないと堂々としないのだろう。
もともと田舎も田舎、四周田圃の中で育った。500メートルも行けば湖(八郎潟)だったから地下水の水位は高かった。畑を作っても例えば馬鈴薯(じゃがいも)などは水っぽかった。
ポプラは育ったが欅は太くなれなかった。タモという木が家の周りに植わっていて、強い風が吹くと張った根が家を揺さぶった。タモは水辺を好む木、と先の図鑑にはある。雪国なのに冬の花・山茶花(さざんか)は見たことがなかった。
40を過ぎた頃、初めてパリに出張した。街中、亭々と大木が茂っていて、それだけで歴史を感じさせた。東京は何度も焼け野が原になったから亭々たる大木は皇居にしかない。見事だが一般のものは勲章でも貰わなければ見られないのは残念だ。
ドイツのアウトバーンの両側を包む雑木林はヒトラーが命令してわざわざ植えさせた落葉樹である。日本の道路役人には無いヒトラーのセンスである。
パリの北駅からベルギーに向かう途中、畑の中にところどころ葉の真っ黒な木が立っている。ところが大使館の誰に訊いても何という木か知る人がいなかった。かといって帰国してみると日本には葉があんなに黒い木はない。長いこと謎だった。
20年ぐらい経って、ニューヨークから汽車で一人旅をした。アメリカ人の友人が田舎に引っ込んで「自然」を楽しんでいる、といってきたから、ワシントンでの仕事のついでに立ち寄った。
すると、あった、あの真っ黒い葉っぱの木。あれはなんという木か、咳き込むようにたずねた。「あれ?あれはジャパニーズ・メイプルじゃないか」お前知らんのか、といった風情。知りませんよ、日本楓(かえで)と言ったって、あんな木、日本には無いもの。
フィラデルフィアには日本楓が至るところにあった。牧野の図鑑では発見できない。とすればアメリカの日本楓はどうやって日本楓なのだろう。謎はまだ解けない。
これからの春が最も美しく香るのは日本国中、岩手が一番だろう。山だらけの国にして山は岩に覆われているから針葉樹は育ちにくく、殆んどが広葉樹つまりこれから雪が消えれば若葉が萌える木なのだ。
山紫水明。山が岩だから谷川の水は濁らない、清い。見事な美だ。岩手の人は春を待つために冬に耐える、とさえ思える。私は岩手で過ごした青春の4年を心和ませて思い返すのだ。
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2856 深川の花、緑の岩手 渡部亮次郎

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