2881 朝日新聞襲撃事件の真相か(3) 平井修一

週刊新潮の前回記事の続き「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!(3)」(09年2月19日号)を読んだ。
・池袋の暴力団・右翼団体塾長・島村征憲(65)は、大物右翼の野村秋介氏に犯行声明文の作成を依頼する。
<野村氏はまたしばらく考えた後、「よし、わかった。その代わり、やり方は全部俺に一任してくれるんだな? 俺が実を取ることになるけどいいんだな?」
実を取る――。野村氏の言葉の意味は私にはよく分かりませんでした。朝日に対して何か訴えたいことがあるのかもしれない。そんな風に思ったことを憶えています>
・一部に「告白」を虚偽だとする声があることについて。
<私が「告白」することによって大金を得ているというような、根も葉もない情報まであるというから驚きます・・・私を「真犯人」と認めたくない“誰か”が虚偽情報を流しているのでしょうか>
・児玉誉士夫とアメリカ大使館と知り合う。
<私は高校2、3年の頃、ひとり立ちをする決心をしたのです・・・有力者が東京のある人に相談してくれ、私はその人の下に預けられることになったのです。児玉誉士夫氏の下へ・・・私は誰とも違う立場でした。児玉氏の影。そうとしか表現できません。その間に銃器の取り扱いにも慣れた。
児玉氏は昭和59年に他界しており、私の起こした事件とは直接の関わりはありません。ですが、私と、アメリカ大使館職員・佐山との関係を説明する上では、どうしても児玉氏のことに触れておく必要があるのです・・・
児玉氏の死後1年くらいがたった頃でしょうか。佐山が連絡してきたのは。私は当時、小さな右翼団体をやっていましたが、
「街宣とかで金がかかるでしょ? ガソリン代くらいだったらこっちで持つよ」佐山のそんなもちかけに乗ったのが、腐れ縁の始まりでした>
・本誌は佐山を取材した。
――島村氏を知っていますか?
「知ってますよ」
――数年前に3万円を振り込んでいますね?
「頼まれたので彼が指定する口座に振り込んだ」
――「朝日を襲撃してくれ」と島村氏に依頼したことはない?
「私に関しては、あの、そういう風な指示を出したことはないです。朝日新聞社とか、新聞社だとか、そういったところに対して何かを仕掛けることによって、アメリカにメリットがあるんでしょうかね」
――諜報の仕事に関わったことはありますか?
「関わったことがなくはないですけれど」
――児玉誉士夫と接触したことはありますか?
「児玉さん? 児玉さんは・・・、接触あったら、俺も金もらっているんですけどね。あの人、大金持ちだったでしょ」
――島村との会話に登場する鹿島(CIA)、J(大使館員)の名前にはピンと来たのでしょうか?
「誰のことを言ってのか、想像はつきます」
――凶器の散弾銃を用意しませんでしたか?
「私が? あるいは大使館が? ふふふふ、そんなことを言っているんですか? 私が島村さんの携帯に連絡しましょうか。聞いておきますよ。いつでも会えますよ」
「私という存在が表に出ないのであれば、アメリカ大使館元職員A氏が、というような記述がないのであれば、私が知っていることを話すことはやぶさかではないです・・・阪神云々につながるかは分からないで好けども。それは20年も前のことですから。私も全然知らない世界のことですし。ただし、そういった人とのつながりを持っていた人たちがいたのか、いないのか、とか」
(以下次号)ということだが、大使館には表と裏があるのだろう。裏では拉致、殺人、スパイ、恐喝、ハニートラップ、密輸などなど、ありとあらゆる謀略が行われてるだろうとは推測できる。
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