アメリカのブッシュ大統領はよく判っていない。世界情勢のことではない。アジア人というものが判っていないし、人間と言うものの研究がまるで出来ていない気がする。いな、ブッシュのみならず、豊かな国土に暮らすアメリカ人全体がそうであるような気がする。
北朝鮮を脅しておいて一転「話し合いの用意がある」といった。アメリカ人にすれば、貧しい北朝鮮はすでに二進も三進(にっちもさっち)も行かなくなっているのだから、白旗かかげ、相済みませんでしたと頭を下げて来ると思っただろう。
昭和16年の時、日本は「座るも地獄、進むも地獄」と闇雲にアメリカに突進したが、今回の北朝鮮は少し違って「そうか、この程度のことでアメリカは引っ込んだか、そんならもう少しごててやろう」と高を括った(1月10日)。アメリカとしては予期せざる反応だったはずだ。
アメリカは中東でも同じだ。何かと言うと経済制裁という。とりあえず拳骨(弾)の前に脅すにはこれが最も効果的であり、これ以外にないと考えるようだ。
日米が戦争に突入する時もそうだった。まずゴムを禁輸し、鉄を禁輸した。これらが無ければ戦争もなにも国民生活は破綻するから、日本人はお手上げするだろうとルーズベルト大統領は思ったが、日本人は黙って耐えていた。
それなら石油の輸出を止めろ、これで武器、弾薬、艦船、燃料と戦争の必需品一切が止まったのだから、アメリカの言う事を聞くだろうと、思った。確かにアングロサクソン民族とかキリスト信者とか合理主義者とかはそうだろう。
しかし日本人は密かに真珠湾を攻撃した。このときルーズベルトは日本の機密無線を解読していたので、日本側の動きのすべてを知っていながら戦略上の見地から沈黙を守った、との有力な説がなされているけれども、それはともかく、この「窮鼠、猫を噛む」という日本人の哲学というか、武士道から来るものの考え方が理解できていなかった。
アメリカの一種の罪とも言える。世界には民主主義しかない、合理主義以外になんの哲学が友好なのかといったことでは世界を律することはできない。少しは疑問を持つべきだ。
敗戦とともに日本を占領に来たのはマッカーサーというアメリカの元帥だった。そのマッカーサーについて工藤美代子という人の著した「マッカーサー伝説」(恒文社)を読むと、アメリカ人の哲学や宗教をそのまま受けいれないからこそ「日本人は12歳」と彼はいったものであるようだ。
しかし今のブッシュのやり方を見ていて、「12歳」の見方がその後、少しでも進んだかとなると、とてもそうは思えない。北朝鮮は明らかに間違っているが、アメリカの対処の仕方もそれこそ合理的とはいえない。
北朝鮮は「つけあがる」。しかも「窮鼠猫を噛む」のも得意だ。アメリカがそれを理解せずに自らは「論理的」と思いこむ式の対処を繰り返す限り、北朝鮮の付け上がりは止まるところを知らず、アメリカの困惑も続くのではないか。
ところで今度ノーベル平和賞を受けた元アメリカ大統領のカーター氏は、はじめ在韓米軍の全面撤退を公約して共和党のフォード大統領の再選を阻んだのだった。前職のジョージア州知事の目から見れば、朝鮮半島の平和が理想主義で解決できると見えたのかも知れない。
ところがいざ当選してワシントンに来て見れば、北朝鮮の金日成はカーターの箸にも棒にも掛からない難物であることがはっきりと理解できた。
そこで国務省が振り付けを考え、就任直後にやってくる日本の福田首相を道具に使うことに決めた。1997年3月22日の日米首脳会談の席で大統領が「撤退」を「削減」と修正したのである。広くアジア政策の大転換をすんなりとやってのけたわけだ。
ただこれには落ちがある。「撤退」を「削減」と言い換える意味のわからない「アバウト」な日本の官房長官が同行記者団に向かって「諸君、特ダネだ、カーターは撤退といったぞ」とブリーフィングした。
党人派の長官には撤退も削減も同じに感じられたのだろう。日本の新聞には「在韓米軍やはり撤退」とでかでかと出てしまった。驚いた外務省は訪米団についている報道課長を呼び出し「削減」に訂正させた。
但しこの時の報道課長はいささか元気が良すぎたか会見に行く途中で「官房長官はカーター発言の意味を取り違えるなんてまさに国賊ものだな」と呟いた。それを官房長にご注進に及んだ記者がいたからたまらない。
官房長官は「役人風情が閣僚を国賊呼ばわりするとは何事ぞ、課長をクビにしろ」と外務省にねじ込むお粗末。この時の官房長官こそは園田直氏。8ヵ月後に外務大臣に横滑りさせられ、その秘書官に私が招ばれることになるとは、神のみぞ知る。
それはともかく、カーター氏の理想的平和主義的発想は今日に及んでノーベル平和賞になるわけだが、専門家の間では、在韓米軍撤退とのカーター発言こそが北朝鮮による日本人連続拉致事件の発端だと断じている。
つまり金日成は「韓国からアメリカが居なくなるなら攻めて行っても勝てる」と第二次朝鮮戦争での勝利を確信した。在韓勤務の豊かな元高官によると、韓国と北朝鮮とでは、例えば言葉のアクセントでも微妙に違っていて、なかなか直せないから、スパイはすぐ捕まる。
そこでいっそ日本人として韓国入りすれば、まさか北朝鮮人と疑われることが無かろう、そのための語学教師役なりすり替え人間なりを日本から拉致せよ、となった、時期的にも一致すと言うのだ。
カーター氏の罪はやはりその理想的平和主義政策によりイランを友好国から失っている。それでもノーベル賞は彼をさらに元気付け、アジアなり中東を惑わせ続けるのではなかろうか。唯我独尊は困ったものだ。(杜父魚文庫より)2003/02/02
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