2905 予測数字のGDP12・7%ダウン 宮崎正弘

これはなんの作為? GDP12・7%ダウン。第四四半期3・3%マイナスを、なぜ通年で発表するのか?
日本のGDPマイナス12・7%?08年第四四半期のGDP成長率マイナス3・3%。34年ぶりのダウン。
しかしこの12・7%という数字は08年第四四半期のGDPのマイナス3・3%を通年に直して、こうなるだろうと予測した数字であり、あまりにもおどろおどろしい。
英紙ファイナンシャルタイムズはちなみに「日本、GDP3・3%ダウン」と報じているだけで、通年予測の数字を行間に小さくしか用いていない。ウォールストリートジャーナルもこれに同じ。
日本のマスコミだけが、なぜか意図的にトップの見出しに深刻な数字を用いているように見える。市場はところで、まったく反応せず2月16日の株価は28円下がっただけである。
      
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(読者の声1)幕末論に一言。「薩長同盟」という言葉が出てくると、「坂本龍馬」という名前が瞬時に浮かび上がってきますが、坂本龍馬の薩長同盟は、最後の締めくくりで出てきたもので、そこまでお膳立てをしたのは、福岡藩 筑前勤皇党 加藤司書、建部武彦、月形洗蔵らの働きによるものとはほとんどの歴史書で出てきません。
第一次長州征伐が行われたとき、福岡藩家老加藤司書は、薩摩の小松帯刀に申し入れ、「長州藩に恭順の姿勢をとらせ、幕府連合軍の解兵」を説得します。
小松帯刀は西郷に命じ、諸藩へ働きかけ、長州への直接的軍事行動をおこさず、解兵に成功します。
そして対馬藩邸で密談を重ねるのですが、1865年福岡藩の政変で筑前勤皇党が弾圧され、加藤司書らの名前は歴史から消えてしまいます。
考えても見てください。ただの脱藩浪人の坂本龍馬に両藩を動かせる力は1864年の時点では未だなく、小松帯刀の後ろ盾があって初めて資金的にも信用も出たのです。
明治維新という転換期から後戻りして現代は見るから、坂本龍馬は凄いように見えますが、その前にある程度の家格と藩の実力がものを云った時期が長く続きます。
司馬遼太郎の史観から、早く脱却せねば明治維新の時の草莽の志士たちの「こころざし」が見えてこないように思えます。(MI生、福岡)
(宮崎正弘のコメント)司馬遼太郎批判、ようやく出始めました。福井健三氏、別宮暖郎氏ら。小生は十枚ほど書いて(拙著『三島由紀夫以後』に所載)、そのままにしています。
この歴史の講釈師。胡散臭い「乱世史観」の持ち主。乃木大将を犬死にと言った歪曲と思慮不足など。『空海の風景』では精神世界のことがまったく分からない作家を露呈しました。しかし本格的に批判するほどの作家とも思えず、そのままです。
司馬遼太郎唯一の功績は台湾の李登輝総統から「台湾人に生まれた悲哀」、「外来政権」という猛烈な比喩を引っ張り出した『台湾紀行』ですか。
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