2911 政治家の出処進退 渡部亮次郎

わが郷里で数少ない東京の大学出の社長(タクシー会社)が町長に立候補するという。彼は長男だが、訳あって、同じ町内のタクシー会社に婿入りした。実父は町会議員を長いことやっていて、議長職も経験済みだ。親父が町会議員、息子が町長とはわが田舎では許されない。そこで親父は何十年も町会議員をしてきたのだから、これを機に引退しても良かろう、となった。
その先は戦術だ。まず、親父の引退を突如発表しよう、長老の突然の引退に町中が大騒ぎになる。すると必ず、これは息子を町長に立たせるためのことではないか、との勘ぐりが出て息子待望論がおきて、同情票も集まるから、闘いは有利だろう、と私は見た。
ところが実際は息子がさっさと立候補宣言をしてしまったので、町内は「これはちょっとひどい、親子で町政を私物化するものだ」という批判が起こった。それで親父はかねての覚悟の通り辞職したが、評判は「批判に耐えられなくなって辞めたのだ、ザマないね」となった。親子にはそうした風評は届かなかった。
既にお気づきのように息子は落選した。少なくとも一時は町政を私物化しようとした、との批判が後を曳いたのである。
その後どうなったかというと、なんと親父殿は「メシが食えなくなった」と町会議員に返り咲いた。さて、次の町長選挙を息子はどうするのだろう。私の予測では、この親子は同じことを繰り返すような気がする。
昔、参議院に議長に3期9年も選ばれて「天皇」とまで呼ばれた大物がいた。昭和40年代のことなので、今ではすっかり忘れられた。重宗雄三さんといった。内閣が佐藤栄作内閣の頃なので、同じ山口県出身の重宗さんは、佐藤政権長期化のため参議院自民党の勢力取り纏めを引き受ける一方、参議院からの入閣名簿を一任された。重宗のご機嫌を損ねたら出世は出来ないから、重宗さんの権勢は高まった。
しかし、そのうちにカネに綺麗じゃない、いやカネを取って入閣させるとの噂が立ち、野党と結託した元副議長の河野謙三さんに引きずり降ろされ、それから5年後の3月に逝去した。そのまま世間は思い出す必要も無いまま忘れた。しかし河野さんも立場上、野党に配慮しすぎた国会運営を余儀なくされたため三選はならず、引退した。強烈な自民党の時代は、弱い野党に配慮した国会運営は世論の支持も得られやすかったが、自民党弱体化が始まると少なくとも自民党は河野時代を絶対許さなかったからである。それで、河野時代もまた歴史の彼方となった。
こんな事をなぜ思い出したか。
韓国大統領選挙での韓国サッカー協会会長がこの選挙での出処進退を誤ったことからである。財閥の出身でサッカーのワールドカップを成功させた会長は人気の勢いに乗って大統領になろうとした。しかしノ氏には敵わなかったので降り、ノ氏支持を表明していたが、投票日前日に突然、ノ氏支持をとりやめた。だが票はそんなに動かずノ氏は大統領に当選してしまった。読売新聞によれば会長はノ氏当選後に声明を発表し「浅墓だった、混乱をもたらしたことを謝罪する」と弁明したが、後の祭りだった。
会長はまだ若いが、政治家としてはチャンスも運も去ったように思う。若者に大人気の自分がノ氏に軽く扱われたことに立腹しての行動であったろう。そこには俺が支持をやめればノは落ちる、すると5年後には自分にチャンスが来る、と思ったかも知れないが、裏目に出た。
政治家の出処進退は自身のこともさることながら、国家と国民の運命を左右するだけに、極めて難しいことである。
最近、ある会合でわが国政治家の出処進退が改めて話題になり、吉田茂は日本の針路について間違ったのではないかと提起する人がいた。戦後すぐマッカーサーの招きでやってきたイギリスの歴史家トインビー(1889―1975)は「この国(日本)の経済は20年もすれば回復するが、国民精神の回復には100年を要するだろう」と指摘したそうだ。なるほど20年後の昭和40年ごろから経済の高度成長が始まってその通りになったが、国民の精神の方は下降線ではないか。
これに対して民族の誇りの回復と真の独立を問うたのが岸信介だったのに、さっぱり評価し直されないのは残念だというのが大方の意見だった。ひとり自衛隊制服の人がもう一人中曽根康弘総理を挙げた。つまりそれ以外の歴代総理大臣は大したことが無かった、と一座は纏まった。
吉田という人はしかし中国との関係について今の台湾を優先したが、やがて中華人民共和国が主流になるだろうと見ていたし、ソ連と中国は一枚岩でない事なども見抜いていた。だが、時代というものが、それをそのまま政策とすることを許さなかった。
まず食う事,寝るところの確保が優先した。独立の回復までが精一杯だったろう、と思う。引退の時は必ずしも綺麗ではなかったのに、何年かして再評価され、偉人となっている。
それに引き換え気の毒なのは岸信介。佐藤栄作の実兄である。かの加藤紘一も参加したという安保反対デモの悪印象の為にさっぱり評価されない。それまで片務的であった日米安保条約を、抵抗するアメリカを説き伏せて双務的に改定したのは偉大な功績である。
それを逆にして国民を騙し、反岸運動に暴走させたのは社会党、共産党、全学連、一部マスコミである。のちに外務省に入ってみれば、日米安保体制の維持にとって岸はいかに日本のためになる事をしたか、とっくりと知る事になる加藤紘一も騙されていたのが学生時代だった。その岸が誤った評価のままに過ぎる事は耐えられない。
岸はかつてA級戦犯だった。それなのにすぐ日本国民は岸を首相にした。あの時代、既に極東裁判の方が間違っていた事を知ったからである。だが今の日本ではこういうことは出来まい。わが畏友加瀬英明が「日本はだんだん堕落して行く」と嘆く所以である。(杜父魚文庫より)2002/12/31
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