2914 救世主としてのオバマ・バブル人気 加瀬英明

オバマ大統領の就任式と祝賀パレードの様子を、テレビで観た。アメリカ全国からだけではなく、世界各地から二百万人以上の大群衆が集まったと、解説していた。
まるで、ワシントンがディズニーランドか、「オバマランド」になったようだった。テレビ中継を観た多くの人が、私と同じように底知れない不気味なものを感じたにちがいない。
アメリカの建国二百三十三年にわたる歴史で、大統領就任式にこれほど夥しい数にのぼる群衆が、ワシントンに集まったことはかつてなかった。
あの騒ぎは、現世離れした救世主(メサイア)信仰がもたらしたのだったろう。私はNHK・BS放送による、イギリスのBBC国営放送の中継によって観た。この日、首都を埋めた大群衆は、新大統領に対する期待の大きさを物語っていた。BBCのレポーターたちまで、昂奮していた。
大統領当選の背景
私はオバマ大統領が当選した時に、「まさにハリウッドのB級映画を地でゆくものだ」と論評した。オバマ大統領は今から四年半前までは、まったく無名のイリノイ州の州議会議員でしかなかった。
上院議員の一期目を二〇〇五年から四年つとめたが、そのうち二年は大統領選挙へ向けて全米を駆け巡っていたから、議員としてみるべき実績が何もない。
アメリカ建国以来、このようにまったく知られていなかった者が、箒星(ほうきぼし)のように現われて、大統領として選出されたことはなかった。オバマ大統領は誰でも自分の願いを自由にかき込むことができる、真(ま)っ新(さら)なカンバスのようなものだ。
私はオバマ新大統領の姿に、祭の時に何にでも効く万能薬といって、蝦蟇(がま)の膏(あぶら)を売る香具師(やし)の少年時代の記憶が、二重映しになった。香具師はその芸に長けていた。
新大統領はよく知られないからこそ、このような大きな期待がいだかれている。敗れた対立候補のジョン・マケイン上院議員は、優れたベテランの政治家だったが、長く知られていただけに、限界があると感じさせた。
オバマ新大統領は、黒人(ニグロ)にとって黒人(ニグロ)、アメリカの人口の十五%を占めるヒスパニック(黒人は人口の十三%)にとっては仲間、ミドルネームがフセインだから、イスラム圏にとってはイスラムの名を持った者、白人の母を持つハーフだから、白人にとって〃名誉白人〃といったように、誰もが自分の味方だと感じたのだったろう。
オバマ大統領は就任の宣誓を行って、夫人とともにホワイトハウスまでペンシルバニア大通りを、リムジンからところどころで降りて、群衆の歓呼にこたえて歩いた。私はその姿に、いる場所に合わせて、色を変える動物のカメレオンを連想した。
それにしても、日本のマスコミが「初の黒人大統領」が誕生したといって、それだけのことで、まるで燭光を見たように浮かれて騒いだのは、いくら日本のマスコミの体質だといっても、軽佻浮薄ではなかったか。アメリカは日本にとって掛替えのない友邦であるから、好意的に扱うべきであるものの、あまりにも度が過ぎていた。
もし、アメリカが昨年九月にニューヨークのウォール街から発した金融恐慌に見舞われることがなかったとすれば、マケイン候補がおそらく大統領選挙に勝ったと思われる。アメリカでバブル経済が弾けて、経済大不況が襲ったことが、オバマ大統領を生んだ。
経済バブルが弾けたことが、救世主としてのオバマのバブル人気をもたらした。バブルの寿命は短いものだろう。
世界の最強国であるアメリカが、オバマを大統領として選んだのは、アメリカが行き詰って、疲弊していることを物語っている。いま救いを求めてオバマに縋っているが、異常なことだ。まともな者なら、不安感をいだくはずだ。
アメリカは世界でも珍しい国である。四年か、前任者が二期つとめれば、八年に一回、新しいリーダーのもとで国家が甦(よみがえ)り、再出発するという幻想にとらわれてきた。「オバマランド」はこのような幻想から生まれた。
チェンジは何を変えるか
オバマは「CHANGE(チェンジ)」を標語として、ホワイトハウスの金的を射とめた。しかし、そう簡単に「チェンジ」をもたらすことができるだろうか。アメリカ経済の再建から複雑な国際関係まで、大きな難問が山積みとなっているが、新大統領の魔法の杖はワシントンを就任式の日だけ「オバマランド」に変える力しか、備えていないのだろう。
国際問題のなかから、イスラエル・ガザ抗争を一つの例としてとろう。
イスラエルは就任式の日の前に、ガザへの攻撃を中止した。私は今回のイスラエルの行動が、ハマスのイスラエルに対するロケット無差別攻撃が原因となっていることから、イスラエルに同情している。
だが、オバマ政権がアメリカのこれまでのイスラエル政策を、「チェンジ」すると思ったら、誤っている。
オバマ大統領のチーフ・オブ・スタッフ(官房長)のラーン・エマニュエルはユダヤ人で、イスラエル国防軍(IDF)に志願して加わったことがあり、父親はパレスチナがイギリス委任統治のもとにあった時代に、イスラエル独立闘争を行ったテロリスト組織『イルグン』の闘士だった。
新政権でイスラエルを担当する顔触れをみれば、デニス・ロス、ジム・スタインバーグ、ダン・シャピロ、グン・クルツァー、マーティン・インダイクの五人である。クリントン政権から受け継いだが、そろって親イスラエル派である。クルツァーとインダイクはアメリカの元駐イスラエル大使だった。多くがユダヤ人だ。もし、イスラエル政策に「チェンジ」を期待するのであれば、ブラック・ユーモアとしかいえまい。
アメリカ国民は二〇〇一年に、八年続いた民主党政権を斥けて、ブッシュ共和党政権を成立させた。オバマによって民主党政権が八年ぶりに復帰したが、拒否されたはずのクリントン政権の幹部たちが中枢を固めている。
それでも、アメリカは世界の指導的国家であり、日本にとって大切な盟邦であるから、オバマ大統領の成功を心から祈りたい。
謙虚なアメリカ
ブッシュ政権が〃傲るアメリカ〃をあらわしていたとすれば、オバマ政権は〃謙虚なアメリカ〃をあらわしている。これまで日本も〃強いアメリカ〃に頼ってきただけに、不安を覚えさせられる。
オバマ新大統領は就任直前の世論調査で、八十二%の高い支持率を記録した。これから魔法が急速に解けてゆくから、支持率が翳(かげ)ってゆくこととなろう。
私はオバマ大統領の就任演説に失望した。私が予想したように選挙戦中の楽観にかわって、厳しい現実をみつめるものとなったが、具体性をまったく欠いて、抽象的な言葉を羅列するのに終始していた。
だが、短い演説のなかで、国民に「耐え」「責任を分かちあい」、「勤勉、忠誠心、愛国心」を求め、アメリカを建て直す「困難な任務に自らのすべてを賭ける」「義務をよろこんで果す」といった言葉がちりばめられていたのに、羨ましいと思った。
もっとも、アメリカの歴代大統領は就任式に当たって言葉の違いはあるが、国民に責任を果すように呼び掛けるものだ。クリントン大統領は就任式で「奉仕の時代(シーズン・オブ・サービス)」がきたと述べ、あとを継いだブッシュ大統領は「責任の時代(リスポンシビリティ・エラ)」といった。
日本では秋までに、総選挙が戦われることとなろう。
しかし、与野党のいずれか忘れたが、「生活第一」とか、「生活重視」といったスローガンを掲げている。生活を優先するということでは、与野党とも変わらない。だが、日本が幕末から明治にかけて、国家として存立を問われた時に、為政者や、心ある人々が「生活を重視する」ことを訴えたものだろうか。
日本を取り巻く環境は、きわめて厳しいものがある。今日の日本の政治家には、国民に政府と困難を分かち合い、犠牲を払うことを求める気概がない。
国家意識がまったく欠落している。これでは国家の体(てい)を成していない。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました