夏目漱石は1867年2月9日に、生まれた。睦仁親王が践祚し、明治天皇になられた年と同じになる。
漱石は恋多き男だった。23歳の時に親友の正岡子規に宛てた手紙のなかで「女の祟りか此頃は持病の眼がよろしくない(略)廿四時間中都合三度の睡眠也(なり)昼寝して夢に美人に邂逅(かいごう)したる時の興味杯などは言語につくされ」ないと、書いている。
その翌年、また子規へ「昨日眼医者へいった所が、いつか君に話した可愛らしい女の子を見たね(略)ひゃつと驚いて思はず顔に紅葉を散らしたね、丸で夕日に映ずる嵐山の大火の如し」と、したためている。
漱石は39歳になってからも、別の友人に「僕がある女に惚れて其(その)女の容貌を夢に見たい見たいと思って寝たが何晩かかつても遂に一度も見なかった」と、手紙を送っている。ある女とは漱石が15年前に眼科で思いがけずに出会った、初恋の女性のことだった。
あのころの男女は、何と純情だったものだろうか。異性に対する羞恥心が強かった。男にとっても女にとっても、異性は容易に見たり、触ったりすることができない、聖なるものだった。
日本人にとって恥は、西洋人の罪の意識に当たる。このところ、日本でも欧米でも聖なるものがなくなって、多くの者が恥や罪の意識と無縁になっている。
もし、今日、漱石のようにまるで「紅葉を散ら」すか、「夕方に映ずる嵐山」のように顔を赭(あから)めたとしたら、どうなることだろうか。精神科のクリニックに連れてゆかれて、「赤面恐怖症(ユーソフォビア)」と診断されるにちがいない。
人々はついこのあいだまで、国、天皇、太陽や山川から、神社仏閣、先祖、親、恩師まで、多くの聖なるものによって囲まれて生きていた。もし人々から、あれは俗物だと呼ばれたとしたら、見下げられたものだった。名誉欲や物欲だけに駆られて、あるいは利害関係と打算だけで動く、つまらない人のことをいった。
心を大切にしあったから、人も聖なるものの一つだった。ところが、今日の日本はどこを見ても、俗物だらけになっている。私もきっとその一人なのだろうと、恐れている。
あらゆるものが金に換算されるようになって、私たちは羞恥心を失うとともに、かしこまることがなくなった。しっかりとした自分を持つことなく、物質的な欲望によって振り回されている。そうするうちに心を打つ男が、少なくなった。
露地裏の塀にかならずのように描かれていた鳥居が、日本の原風景の一つだったのに、敬神の念が失われるとともに、いつのまにか消えてしまった。露地は舗装されていなかったから、主婦たちが毎朝、竹箒を手にして真心をこめて掃いた。道には美しい箒目(ほうきめ)が印されていた。あらゆるものに、心が宿っていた。
マナーは心から発する。外形だけを繕うものではない。相手に対して畏まることが、マナーを生む。
といって、今日でも男にとっても、恋が眼病の一つであることに、変わりがない。漱石が39歳になっても患っていたのは、医者が治癒することができる眼の病いだけではなかった。
男性は女性に視覚を通じて、まず惚れる。対して、女性は耳を通じて異性に魅せられる。見るより聞く分、やはり、女性のほうが男よりも計算高くて、慎重なのだ。
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2918 漱石の異性に対する羞恥心 加瀬英明

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