2925 武装スパイ事件を指揮していた 古沢襄

韓国の朝鮮日報が北朝鮮軍部の動向について報じている。この中で国防委員会の副委員長に任命された呉克烈大将について、1989年から20年間、労働党作戦部長を務めて、その間に度々武装スパイ事件を指揮していたと伝えている。
<北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が軍首脳部を全面的に改め、強硬派や自分に最も近い側近で固めた、という動向が続々と伝えられている。
朝鮮中央通信が20日に報じたところによると、金正日総書記は自分が兼任している国防委員長と党中央軍事委員長の名義で、呉克烈(オ・グクリョル)労働党作戦部長(78)=大将=を国防委員会副委員長に任命したという。労働党作戦部は、韓国向けスパイの養成や浸透を総括する部門で、国防委は北朝鮮軍を指揮する事実上の最高統治機構だ。
呉副委員長は1989年から20年間にわたり労働党作戦部長を務め、その間さまざまな事件を起こした。
女スパイの李善実(イ・ソンシル)=北朝鮮での序列第22位=が背後で暗躍していた1992年の「朝鮮労働党中部地域党事件」、95年の二人組武装スパイ事件、99年の麗水沖合での半潜水艇浸透事件などを主導し、代表的な「強硬派」に挙げられる。79-88年には総参謀長(合同参謀本部議長相当)を務め、83年のミャンマー・アウンサン廟爆弾テロ、87年の大韓航空機爆破事件などにも関与したとみられる。
現在の国防委には趙明禄(チョ・ミョンロク)第1副委員長(79)=次帥=や李用茂(イ・ヨンム)副委員長(86)=次帥=などがいるが、高齢や健康問題により実際の活動は難しい状況にある。従って、「金委員長が呉副委員長を代理人として立て、国防委を一層確実に掌握しようというもの」(治安政策研究所ユ・ドンリョル研究官)という分析がなされている。
これに先立ち金総書記は、95年以降韓国に対する挑発の主役となってきた金永春(キム・ヨンチュン)次帥(73)を人民武力部長(国防長官相当)に、李英鎬(リ・ヨンホ)平壌防御司令官を総参謀長に任命した。
情報機関の関係者は「最近軍部の要職に起用されている人物は、いずれも強硬派の側近ばかりだ。まだ名簿は公開されていないが、核心を担う軍団長にも強硬派の側近たちが重用されている」と語った。
空軍司令官出身の呉副委員長は、総参謀長時代に北朝鮮軍の現代化を主導した。しかし、金日成(キム・イルソン)主席がまだ健在だった87-88年当時、実権を握っていた呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長(元帥)と軍の改革をめぐって対立し、左遷された。
その後、金正日総書記の保護で復活したといわれている。呉副委員長は、日帝時代末期に「金日成部隊」の隊員だったオ・ジュンソンの一人息子で、金正日総書記とは長い間兄弟のように親しく過ごしてきたことが分かっている。
韓国政府の当局者は、最近のこうした北朝鮮軍の人事について、「金総書記の健康と後継者問題などで体制不安がある状況で、最も自分に近い側近を起用することで軍部を引き締め、軍事的緊張を通じ内部の統制を強化しようという動きと見られる」と語った。(朝鮮日報)>
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