2945 雑談:権力との付き合い方② 福島香織

■で、さきごろ世間を騒がした、中川昭一・前財務・金融担当相のG7〝酩酊〝記者会見。中川氏が会見直前に某社の美人女性記者ら、お気に入り記者を集めて会食したという話が新聞や週刊誌で話題になった。
「美人記者」と週刊誌やタブロイド紙は強調して書くものだから、なんかいかがわしげなことを連想させるが、要するに2月14日のバレンタインデーだから、女性記者限定の会食にしたのだろう。
いずれにしろ、閣僚から特別扱いされて同じテーブルに呼ばれるというのは、まちがいなく彼女らが「かわいげ」のある優秀な記者であるということだ。本来なら、政治家によく食い込んでいる、と評価されてしかるべきだが、残念なことに、昼食会の現場ルポという特ダネ記事は書けなかった。
■中川氏が注文したワインを飲んだ飲んでいないかを、たびたび電話連絡で席を外していたので目視で確認していなかった、というのが表むきの理由。だが、記者という職業の人間が、テーブルにおかれたワイングラスの量が変わっていないか減ったか、その変化にまったく気づかないほど観察力がないはずはない。
■本当のところは、要人臨席のクローズドの食事会での会話やできごとは「完全オフレコ」というこの世界のルールと「情」に縛られて何も書けなかったのだと思う。あるいは稀少な愛国保守系閣僚を擁護することこそ真の国益という信念から、沈黙を守ったのかもしれないが。(それだったら、酒ぐせのあまりよろしくない大臣にワインを注文させるなよ、と言う意見もあるが)
■あの会見映像が流れた日、官邸記者クラブでは、他紙の記者らが、昼食会の同席した女性記者らに連絡してウラをとろうとがんばっていたが、結局最後まで連絡とれずじまいだった。
■そういう中で18日付の産経新聞は「薬の影響」とする中川氏の言い分を全面的に肯定した記事で、酒のせいとする同日付の毎日新聞の記事と並べて読むと、政治記事とは政治家と記者の距離感とか編集長の方針によって、ここまで変わるのか~ということがよく分かっていただけると思う。
某紙の記者は、産経の記事を読んで「産経新聞はまだ、中川氏が返り咲くと思っているんだ」と言っていた。おお、政治部記者とは記事からそういうところをよみとるものなのか。私はてっきり、記者の情の深さ、あるいはその政治家は自分に対しては絶対ウソをつかないとの自信から書かれた記事だと思ってしまった。
■とういうことで、本当に政治部の優秀な記者とは、かわいげを発揮して権力にかわいがられつつ、その権力を批判するときは手加減しない非情さも持ち合わせている記者らしい。
ただし、その変わり身を「人間としてどうよ?」と思われないだけの取り繕いができる器用さも必要だ。そういう風に考えると、政治家に必要な資質も、記者と同じかな。政治家もより強い政治家にかわいがられつつ、いざその人が落ち目になると、批判に転じて、自分自身がより大きな権力を手にいれようとする。
■私が東京にもどって、政治部に配属されるとき、会社のえらい人たちや先輩記者が、「麻生(首相)は福島みたいなのを、意外(?)に気に入るかもしれん」「がんばって、かわいがられてこい」という激励の言葉を受けた。
入社したてのときから「かわいげのない」と言われ続けてきた私に、いまさら、かわいげを出せと。しかも、もう40すぎでっせ。努力してはいるのだけれど、中国では皮肉と諧謔で売ってきた私ですから、ちょっと苦しい。
■で、せめて女の魅力がプラスに使えないかしらん、と思って、髪などのばしてみたのだが、若い美人記者らとならんで秘書官らとオフの懇談会にでたとき、美人記者には「美人記者さん」と呼んだり、結婚や合コンの話題をふったりするのだが、私の顔の上に視線がとまると、そういう会話の流れふと、止まるんだな。
いや、美人とよばれたいわけじゃないし、あたしに結婚や合コンの話をふられても確かにこまるんだが。しかし、あまりに露骨に口ごもられると、「この正直もの!官僚は平気でウソがつけるんちゃうんかい!」と内心つっこんでしまう。
■というわけで、私がかわいげのある政治部記者になるのは当分無理なので、このブログでも官邸発の政局や政策に関するまともな記事がエントリーされるのはずっと先のことになる。
まあ、あんまり取材対象との距離が縮まると、私などは簡単に情に流される人間だから、このあたりでいいのかなと思ったり。取材対象と記者の関係は緊張感があった方がいいのよ!とうそぶいてみたり。
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