<小沢一郎政治塾>が開設されたのは2001年である。当時、小沢は自由党の党首、志ある若者を育てるためだった。
講義のなかで、小沢は次のようにリーダーの定義をしている。
「リーダーとは、自分の目指すものを明確に掲げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である。
学者や評論家とは違うのだから、自らのビジョンを現実のものとすべく、行動に移さなくてはならない。その際に重要なのは、他人に責任を転嫁することなく、結果に対して責任を負うということだ」
今回、残念なことに、ビジョンではなく政治資金をめぐる疑惑で、民主党代表の小沢は責任を問われる羽目になった。若者たちに説いた手前も、すっきりさせなければならない。
とにかく、政界は狂態さながらだ。手負いのリーダー次々に、である。麻生太郎首相の度重なる放言・失言に仰天し、中川昭一前財務相の酔いどれ会見に絶句し、そして野党第1党党首の金銭疑惑にがく然だ。
リーダーは交代期に入ったのかもしれない。麻生、中川は疑惑でなく資質が問われている。小沢の資質はどうなのか。民主党幹部の一人は、
「最後の乗っ取り型リーダーじゃないか。戦後政治六十余年の後半に現れ、政界を席巻した2人の乗っ取り型、田中角栄と金丸信の系譜だ。小沢はこの2人にもっとも目をかけられた。3人ともゼネコンと因縁が深く、それを足場に政界制覇を意図したのだが、いずれも検察捜査の対象になった。いかにも古いリーダーのタイプだ」と言う。
同じ角栄人脈で首相の座を手にした竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三は乗っ取り型ではない。田中、金丸、小沢の3人は金権的で、政治手法も猛々(たけだけ)しく、独裁者の風ぼうを漂わせていた。
特に小沢の場合、
「2人の先輩よりも戦略的、独断専行的だ。まず自民党に見切りをつけたあと、政党の離合集散のなかで民主党を乗っ取り、それをテコに天下取りを狙った。一昨年の大連立の画策は結果的に失敗だったが、乗っ取り型の面目躍如ではないか」(先の民主党幹部)とみる。
07年11月2日、福田康夫首相との会談で大連立の合意をみた小沢は、これで権力に到達できると考えた。当時の内情を知る自民党幹部は、
「だれも小沢が福田の召使になるとは思わなかった。むしろ、福田が召使になる恐れのほうが強かったが、参院少数派の自民党としては、あえて危険な賭けに出ざるをえなかったのだ。ところが幸か不幸か、小沢の論理を民主党幹部はだれ一人理解できず、つぶれた」
と振り返る。理解以前に、小沢の危なっかしい乗っ取り主義を恐れたのだ。いわば党首の反乱で民主党はこわれかけた。菅直人代表代行が小沢から、
「(今後は)大連立にこだわらない」
という言質を取り、辛うじて崩壊を食い止めたいきさつがある。今回の党首疑惑は、小沢民主党2度目のピンチと言っていい。
追い風に乗って政権に近づきつつあった民主党は、一転右往左往の混乱に陥った。党内からは、
「いまは真空状態だ。小沢さんに頼りすぎたという反省もある。ここはうまく(代表を)辞めてほしい、とみんな願っているのではないか」
などと切羽詰まった声が聞こえてくる。乗っ取り型リーダーは時代に合わなくなったということだろう。(敬称略)
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2989 乗っ取り型リーダー 岩見隆夫

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