支那のことわざに「溺れる犬はさらに打て」というのがあるらしい。いやな言葉だ。魯迅が作品の中で「打落水狗」と言ったという説もあるが、過激派の中核派(小生がかつて草鞋を脱いでいたところ)は盛んにこれを言っていたから、トロツキーか毛沢東あたりの言葉だと思う。いずれにしても変人、奇人の言葉だろう。
毛沢東はえらくエゲツナイ人で、直截的な表現を好んだ。白か黒か、を大いに気にして、最終的に自分の味方にならなければ「敵」として激しく断罪した。
<革命は暴動であり、ひとつの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である>(1927年「湖南省農民運動の視察報告」)
<我々の敵は誰か。我々の友は誰か。この問題は革命の一番重要な問題である>(1926年「中国社会各階層の分析」)
「白」と「黒」、「味方」と「敵」の間に、グレーゾーンのどっちつかずの膨大な人々がいることを一切無視して戦車で踏み潰すのが毛沢東で、小生はそんな「き・ち・が・い」と同時代ではあったが異国であってよかった。
敵とされた劉少奇国家主席が文化大革命という毛沢東の権力闘争の中でいかに残虐に殺されたかはあらためて小生が書くまでもないだろう。残虐ぶりは西太后そっくりだから、宮刑(去勢刑)を発明した支那4000年の歴史に則って劉少奇はいたぶり殺されたのだ。
だが、大陸に住む13億の中国人はそれすらも知らないし、ましてや天安門事件もまったく知らないのに、「南京30万人虐殺」という嘘八百は皆信じているという、中共の独裁帝国ぶりはぞっとするほどだ。なんたる愚かさ!
ことほど左様に小生は中共が大嫌いである。中共が嫌うことを溝さらい、落穂ひろいの如くに蒐集し、針小棒大に世間に発信するのが天職vocation と思っている。13億対1の戦争だ。
利権誘導型、北京エージェントの臭いがぷんぷんしている二階俊博・経済産業相が、西松建設ダミーの政治団体から800万円を越えるパーティ券を買ってもらっていたという。
二階を「老獪な調整型政治家、今では得がたい存在」と評す人もいるが、小生は本能的に「こいつは北京屋、江乃傭兵」と思い、不倶戴天の敵と断罪しているから、ここはひとつ「溺れる犬はさらに打て」と石を投げるしかない。小沢と一緒に昇天あるいは沈没して欲しいのである。
二階は蛇のようで、頭をつぶしても生き返りそうである。小沢は「もういい、ここで終わり」と言うだろう。小沢の美学。というか飽きっぽさ。
西郷先生は別府晋介に言う、「晋どん、ここらでもうよか」。
死んでも小沢には田中血脈の「憎み切れない愛敬」がある。が、小生は二階に「拭いきれない腐臭」を覚えるのである。根拠なんてない、本能的な嫌悪感である。
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