日本ほど世界のなかで、美意識が発達している国はない。
日本は19世紀後半から、ヨーロッパ美術界に深奥な影響を及ぼした。ジャポニスムとして知られるが、ルノワール、ピサロ、ロートレック、ドガ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ロダン、ムンクなど、おびただしい数にのぼる作家を魅了した。
これらの作品には、それまでの西洋にとって衝撃的で、斬新だった浮世絵版画の構図を、そのまま用いたものが多い。浮世絵版画によって触発されて、西洋美術が変わった。ジャポニスムの波は、陶磁器から、皿、カップなどのテーブルウェア、工芸品、服飾、壁紙などの室内装飾、造園までを洗った。
日本は20世紀に入ると、近代建築に大きな影響を及ぼした。ブルーノ・タウト(1880年~1938年)が伊勢神宮の内宮を訪れて、外容と内容が完全に一致しているのに驚いて、「稲妻に打たれたような衝撃をうけた」と記したことは、日本でもよく知られている。
それまでの西洋建築といえば、外装(ファサード)がまるでデコレーションケーキのように、飾りたてられていた。20世紀に入ると、外容と内容が一致した、鉄筋とガラスを用いた機能的なビルが生まれるようになった。
日本の強い影響を受けた建築家として、チェコスロバキア出身のアドルフ・ルーズ(1870年~1933年)と、オーストリアに生まれ、アメリカで活躍したリチャード・ジョセフ・ノイトラ(1892年~1970年)も、有名である。
ノイトラは来日して、桂離宮などの建築を訪れて、「私の空間の処理と自然に対する感性と、完全に一致した。私は生涯求めたものに、出会った」と嘆じた。
タウトは著書のなかで、「ヨーロッパへの日本の影響は甚大だった。今日の近代建築が世に出たころ、ヨーロッパの建築に最も強い推進力を加えたのは、大きな窓や戸棚を持ち、純粋な構成を有する、簡素で自由を極めた日本住宅だった」と、述べている。
虚飾を省いた機能的な西洋家具も、日本の影響を強く受けている。日本は近代世界の美の師となった。
この20年ほどのことだが、私は海外でヌーボークジン(フランス語で「新料理」)を振舞われると、ほっとする。前菜、スープ、魚、肉、デザートの基本的な西洋料理のコースにかわって、メインコースとして凝った、少量の料理をあしらって、5、6点供される。ヌーボークジンは、日本の会席料理を模倣したものだ。
私たちにとっては当たり前になっているが、日本では四角、長方形、六角形とか、紅葉(もみじ)や、瓢箪(ひょうたん)の形をした、さまざまな皿が用いられてきた。だが、海外のどこへ行っても、皿といえば、円形か、楕円形のものしかなかった。いまでは、四角の皿が珍しくない。
日本料理はまず目で堪能する。素材の色や、形の組み合わせに配慮して、しつらわれる。
夏目漱石は『草枕』のなかで、主人公にこういわせている。
「一体西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根位なものだ。滋養の点からいったらどうか知らんが、画家から見ると頗(すこぶ)る発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立は、吸物でも、口取(くちとり)でも、刺身でも物(もの)奇麗(ぎれい)に出来る。(略)一(ひと)箸(はし)も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養からいえば、御茶屋へ上がった甲斐(かい)は充分ある」
もちろん、西洋料理や、中国料理や、朝鮮料理、インド料理などの海外の料理もそれぞれ、それなりの味わいがあるが、見たところを配慮することがない。
最近のジャポニスムといえば、日本のコミックマンガが模倣されて、日本語のmangaが、英語、ヨーロッパ諸語の仲間入りしている。
それまでの西洋のコミックは、ミッキー・マウスであれ、スーパーマン、スパイダーマンであれ、登場人物がどのコマのなかでも、同じように描かれていた。日本のコミックは、浮世絵芸術の大胆な構図の流れを汲んでいる。
衣食住についていえば、食である日本料理は素材の味を重んじるから、手間隙(てまひま)をかける料理としては簡素なものだ。建築についても、西洋や、中国の壮麗な建築物と較べれば、やはり簡素なものである。
しかし、衣をとれば、能衣装や花嫁衣裳と、中国の皇妃や、ヨーロッパで妃や女官たちが着ていた衣装と較べれば、日本のほうが絢爛豪華である。包装についても、同じことがいえる。日本文化は包むことについては、世界を圧倒している。
日本人は世界のなかで、美意識が突出している。
私たちは中国大陸や、ヨーロッパ大陸とちがって、善悪よりも、美を尺度として生きてきた。清潔さを重んじて、穢れを嫌ってきたのも、美意識が働いている。日本人にとって善悪は理屈によらずに、感性から発する。このような尺度を用いているのは、世界のなかで日本だけである。
美意識が人々の生活と、行動様式を律してきた。武士道は美意識である。江戸時代から治安がきわめてよかったのも、人々の美意識が高かったためだった。
日本語では体格が貧弱であっても、その人の精神や、行動のありようによって、男らしいという。西洋諸語で男らしいといえば、見た目をいう。西洋の美が外見的なものであるのに対して、内面の美しさを問うているのと、対照的である。
女のなまめかしさや、色気も、視覚的な美しさとともに、内面から発するものだった。私たちは外面より、内面を重んじる。
人々は美しさを競った。日本では永遠の美よりも、生命と同じように束の間の美を重んじた。
日本は恥の文化だといわれるが、恥も美意識から発している。このような美意識は、心が形となって現れたものだった。いなせ、きおい、いきみ(意気味)といった言葉は、心と一体だった。
日本ほど、立ち居振舞の美しさを重んじた文化は他にない。和を重んじるから、譲り合う。自制して控え目に振舞うのが、美しいとされてきた。和服の着付にこだわるのは、外国のように見た目を大切にしているのではなく、心をあらわしているからだ。
日本は心の文化である。日本の工芸品の素材には金銀や、貴石などではなく、無価値のものが用いられている。工芸品を壊してしまったら、1銭にもならないようなものが、ほとんどだ。侘(わび)、寂(さび)の境に通じている。
神道が日本の民族宗教である。神道は何よりも、清々(すがすが)しさを尊んでいる。清々しい美しさである。日本は水が豊かな国であるが、大(おお)祓(はらえ)、禊祓(みそぎはらえ)によって罪がはらわれると信じられた。
いま、エコロジーが世界を律する、新しいスーパー・レリジョン(超宗教)となっている。神道は自然との共生を求める信仰であって、エコロジーの教えである。
神道は万物に対して畏敬の念をもって接するから、自然と同じように包容力が豊かである。私は神道の発想が、これから世界のスーパーレリジョンとなると説いてきたが、このところ神道が海外において評価されるようになっている。
近代世界に、日本ほど大きな文化的影響を与えた国はない。
隣邦の中国もこのところ大国に列するようになったが、古代に火薬、紙、羅針盤などを先駆けて発明したものの、近代に入ってから世界文化に貢献したものは何もない。
日本の世界への影響がいっそう大きなものになることを、期待している。いま、日本の時代が明けようとしている。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
コメント