もうあきれ返るばかりで、小泉元首相ではないが、「笑っちゃう」気分である。「政府高官」発言を巡る一連のどたばた劇だ。結論的に言ってしまえば、政治報道の現場はどこかおかしくなっている。「幼児化症候群」とでも言うべき現象が生じているのではないか。
内閣記者会は日本最大の記者クラブである。政府中枢を取材するのだから、各報道機関とも政治部の中核部隊として位置づけている。それが、「集団的オフレコ破り」を演じてしまったのだ。それも、一定の政治勢力に加担するかたちの展開となったのだから、これは日本の政治報道の汚点として歴史に残る「事件」と言っていいかもしれない。
経緯を振り返ろう。西松建設事件で民主党の小沢一郎代表の公設第1秘書が東京地検に政治資金規正法違反容疑で逮捕されたのが3月3日だ。問題となった漆間巌官房副長官の懇談は5日夕に行われた。
「自民党への波及はあるか」という質問をしたのはTBSの記者である。これに対して、漆間氏は「ないだろう」という趣旨の発言をした(とされている)。
午後7時39分、共同通信がこういう記事を配信する。
< 献金捜査、自民に波及せずと高官 異例の言及 (共同通信)
政府高官は5日、西松建設の巨額献金事件の捜査について「自民党議員に波及する可能性はないと思う」との認識を示した。
政府高官が政治家の絡む事件で捜査の見通しに言及するのは異例。捜査の中立、公正を確保する観点から批判も予想される。西松建設側の献金やパーティー券購入など資金提供先には、自民党の森喜朗元首相や二階俊博経済産業相、加納時男国土交通副大臣、山口俊一首相補佐官らが含まれている。[ 2009年3月5日19時39分 ] >
騒ぎとなったのは、この配信が大きかったらしい。漆間氏自身もその後、「共同通信の配信で自分の発言が問題となっていることを知った」としている。
*政治取材の「仁義」
政治取材のイロハについて解説しておかなくてはなるまい。取材というのは、もちろん「サシ」(単独取材)が一番いいのだが、首相官邸でそれをやったら収拾がつかなくなる。このため、官房長官は午前と夕方の2回、記者会見を行い、そのあと、官房長官室で懇談をやるのが慣例だ。
官房副長官も夕方、懇談を行うことが多い。官房副長官は政務(政治家)と事務(官僚出身者)がいるが、漆間氏は事務の副長官である。警察庁長官経験者だ。
会見は発言者の名前を特定して報道していいが、懇談の場合はぼかすことになっている。官房長官は政府首脳、副長官は政府高官、政府筋などとして報じる。これは各党や官庁の場合も同様だ。自民党の場合、幹事長と党4役が自民党首脳、それ以下は自民党筋などとなる。官庁の場合は、大臣、次官が○○省首脳、局長以下は○○省筋といった具合だ。
「立ち話」というのもある。国会内で有力議員を囲んで話を聞くようなケースだ。立っていれば、相手の名前を特定して発言を報じてもいい。だから、筆者の経験だと、微妙な話になりかかって、相手が「ここから先は座ろうや」と廊下の隅にあるソファに腰を下ろすということがあった。そうなると、懇談になり、発言者をぼかさなくてはならない。現在はどうなっているか知らないが、我々が現役のころはそれが仁義だった。
懇談にも、メモを取っていい「メモ懇」、メモも録音もだめという「オフレコ懇」、内容を明らかにしてはいけない「完全オフレコ」(一定期間が過ぎれば、企画記事などであのときはこうだったというかたちで使える場合もあった)などの区別がある。
今回の漆間氏のケースは「オフレコ懇」に当たる。だから、担当記者たちは懇談終了後、わっと集まって、発言内容の「メモ」をつくったはずだ。質問をした記者は回答を覚えているから、それぞれが思い出しながら、内容を再現するのである。これを「メモ合わせ」と称する。
政治取材の現場の状況をさらに突き詰めれば、官房長官番は中堅記者だが、副長官番は若い総理番記者が兼務しているところが多い。キャップにきちんとした発言メモを上げなくてはならず、各社の互助会的機能がまかり通ることになる。
会見とか懇談とか、なぜ、こういうややこしい取り決めができたか。これは長い間の政治取材の蓄積によって生まれた「知恵」である。説明責任を果たすべき政治の側、国民の知る権利を代弁するメディア側、その双方の責務をぎりぎりまで担保しようというわけだ。
記者会見はどうしても建前が優先する。したがって、本音ベースでの背景説明の場として懇談という手法が導入された。これによって、より深みのある政治報道が可能になると考えられた。
「○○官房長官は記者会見で△△と述べた。‥‥これに関して政府首脳は▽▽を明らかにした」といった記事が出ることがある。実は同じ人の発言なのだが、機微に触れる部分は懇談による政府首脳発言となるわけだ。
最近は記者会見の模様を衛星テレビなどが流すようになったが、米国のホワイトハウスでの記者会見のような緊迫感がなく、総じて記者とのやり取りはおもしろみに欠ける。これは、肝心な部分を懇談にまわしているためでもある。
*野党抗議に便乗し、一気に「オフレコ解禁」要求に
さて、漆間氏の「政府高官発言」は翌6日付朝刊に掲載された。民主党の鳩山由紀夫幹事長らが「検察と政府中枢の連携の証拠」として取り上げ、一気に政治問題化する。「国策捜査」論の有力な論拠とされたのである。
その時点で永田町には既に漆間氏の発言であることが伝わっていた。内閣記者会の一部のメディアはそうした状況を受けて、「政府高官」に名前を明らかにした報道を認めるよう求める。そうした圧力もあって、河村建夫官房長官は8日、テレビで「政府高官」が漆間氏であることを認め、漆間氏は9日の参院予算委員会で釈明することになる。
これが経緯だが、オフレコを前提とした懇談である以上、発言内容が政治問題化したからといって「オフレコ解禁」を後から求めるのは重大な信義違反と言わなくてはならない。これを認めたら、政府当局者はうかつにものが言えなくなる。政治メディアは自分の首を自分で絞める愚を犯してしまった。
6日付各紙朝刊を改めて点検してみよう。いずれも「自民党への波及はない」といった趣旨の発言を伝えているが、記事の扱いぶりは以下の通りである(東京発行最終版)。
朝日 社会面ベタ記事(1段見出し)
毎日 2面、ベタ記事
読売 2面、2段のハコ組み(横書き)
日経 2面、2段見出し
産経 5面、まとめ記事の中で言及
こう見てくると、各紙ともその時点では「大ニュース」とは受け取っていないことが分かる。問題発言を引き出したとされるTBSのサイトを見ても、5日夜のニュース項目には挙げられていない。それが、野党側の抗議に便乗し、一転して「オフレコ解禁」要求に突っ走るのだ。
*本音ベースの背景説明ではなかったか
漆間氏が懇談で発言したときに、「いまのは重大発言だ。オフレコを解禁して漆間副長官の発言として報道する」と詰め寄っていたのなら、まだ分かる。あるいは、1面で大きな扱いにでもしていたら、その後の対応も理解できる。
おそらく漆間氏は若い記者たちを相手に、警察庁長官としての体験を踏まえ、小沢氏側と自民党で名前の出ている人の側の献金額の違い(小沢氏側は総額で億単位、自民党側は数百万円で、2桁違う)などを引き合いに、捜査の進展見通しを述べたのではないか。
漆間氏に軽率のそしりは免れないとしても、オフレコの懇談の場である。本音ベースの背景説明として、ぎりぎりまでサービスしようとしたのではないか。
政治サイドが、漆間氏の発言を問題視し、政府攻撃に使うのは当然といえば当然だ。民主党は解散、総選挙を前に党首直撃の思わぬ事態に直面してしまったのだから、格好の反撃材料を得たことになる。だが、政治メディアがそれに付きあってはいけない。「政府高官」あるいは「政府筋」として報じたのだから、そこを守り切らなければ、取材源との信頼関係は成り立たなくなる。
むろん、漆間氏が国会に呼ばれるといった動きが出れば、これは政治ニュースなのだから、今度は堂々と漆間氏の名前を出せばいい。それ以前に、「オフレコ解禁」を求めてはいけない。
そこのところの「狡猾さ」(といった表現を使うと誤解されそうだが)、あるいは「大人の態度」と言うべきか、それが見えてこない。一方で筋を通しながら、やむなく「解禁」せざるを得なかったという展開に持っていかないと、政治報道の未熟さばかりが浮き彫りになるだけである。
自民党サイドでは、二階俊博経済産業相が焦点となっている。逮捕された小沢氏の秘書の拘留期限は24日だ。起訴となれば、小沢氏の代表辞任が現実化しよう。政局は西松事件によって、予想外の構図となり、複雑な様相を呈している。かつてない展開に直面して、政治メディアの責務は一段と重くなっている。それだけに、「政府高官発言」への対応が妥当だったのかどうか、きっちりと検証してほしいと思う。
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3024 オフレコ破り、現場はどうなっているのか 花岡信昭

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