最近の北朝鮮の動きで唐突に米国の食糧支援を拒否した謎がある。米国のアジア系女性記者の拘束も待ち伏せしていた気配が感じられる。この謎について韓国の朝鮮日報は米国が北朝鮮情勢について、念入りな情報活動をしていたことを理由としてあげている。
この様な視点に立つと食糧支援の再開はかなり難しく、女性記者の釈放も時間がかかりそうである。今の北朝鮮には他国とくに米国には知られたくない国内事情があるのではないか。
<米国は食糧救護団体などを通じて9万人の北朝鮮住民についての情報を確保し、最近まで北朝鮮に支援された食糧の現地での配給状況を把握する際、これらを積極的に活用していたことが24日までに分かった。最近、北朝鮮は米国からの食糧支援を突然拒否したが、その背景としてこのような事情も一つの原因ではないかとみられている。
食糧難の影響で北朝鮮住民の脱北問題が注目され始めたのは2001年ごろだ。1990年代半ばのいわゆる「苦難の行軍」の時期には脱北もできず、200万から300万人の北朝鮮住民が餓死したが、2000年代初めに第2次食糧危機が訪れると、今度は10万人以上が中国に脱出し、物乞いをしたり草の根を食べながら生き延びたという。
米国の救護団体関係者は「当時情報を基に中朝国境地域に行くと、脱北者が数百人、野山などに隠れていた」と語った。この団体はそのときからコメ25キロや医薬品などが入った麻袋入りの救護品キットを準備し、脱北者に分け与えた。
この関係者は「食料の入った麻袋を分け与えながら、脱北者の名前、住所、家族構成、健康状態などを詳しく記録したが、およそ9万人以上の脱北者が麻袋を受け取ってから再び北朝鮮に戻った」「(救護団体は)米国政府から予算の支援を受けているため、9万人の脱北者に関する情報を国務省に渡した」と語った。
韓国政府筋は、「北朝鮮が韓国語を話す米国の食糧分配・モニタリング(監視)要員の活動に敏感になっているのは、彼らが持つ人的情報が北朝鮮当局の想像を超えるレベルにあるからだと思われる」と語った。
米国の監視要員らは単に食糧を分け与えることだけを見極めるのではなく、2000年代初めに脱北して北に戻った住民が生きているのか、その家族構成に変化はないのかなどの情報についても確認しているという。
北朝鮮は昨年5月に米国による50万トンの食糧支援を受け入れた際、韓国語が話せる監視要員の配置にも合意したが、その数をめぐっては米国側と対立を続けてきた。
金錫友(キム・ソクウ)元統一部次官は、「北朝鮮は米国による分配監視活動が、体制の引き締めにマイナスに作用すると判断したようだ」と語る。
このような米国の監視活動に比べ、韓国は北朝鮮に送ったコメがどうなっているのか、状況をまったく把握していない。
監視要員として北朝鮮を訪問したことのある統一部当局者は、「住民が20キロほどのコメを受け取るのを見届けること、家族の数などを聞くことがすべてだった。北朝鮮に送ったコメの0.1%も監視できていない」と述べた。(朝鮮日報)>
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