■WBCの決勝戦のとき、総理番記者たちも番小屋(官邸内にある総理番記者らの作業室。総理執務室前を映すモニターがあり人の出入りが確認できる)で、テレビにかじりついていた。私は外のエントランスホールにいたが、9回裏でダルビッシュが打たれたときの悲鳴もイチローのタイムリーのときの歓声もエントランス中に響いていたよ。
■実は私は野球があまり好きではない。新人記者時代の高校野球地方予選取材やリトル・リーグ取材でトラウマがある。いくつも試合かけもちで、炎天下の中でスコアブックつけて写真とって原稿をかくという超ハードな仕事で、若さと体力だけでするようなもんなのだが、これがミスしやすい。自分で撮った写真ですら、同じようなカットば何枚もあるから、何試合の何の場面だったか勘違いして「えとき」を間違ったりするのだ。
■あのころは暗室現像とか電送とか全部自分でするんで、自分が間違ったら最後、誰も救えない。で、翌日の新聞をみて親御さんとかから悲鳴に似たクレームがくる。そりゃそうだ。地方版とはいえ、息子の晴れ姿(タイムリーヒットを打ったところとか)の写真が掲載されるべきところに別人の写真が載ったりするわけだから悲劇。こっちもすまなさで涙目よ。おかげで途中からスタンドの応援風景の写真しか使ってもらえなくなった。野球の試合をみると、あのころの吐き気を催すような取材の日々を思い出す。
■そんなわけで、野球も野球選手のこともあまり知らない。北京五輪のとき、ジャパンハウスでダルビッシュ選手を見かけて、ほえ~最近のプロ野球選手はこんな少女漫画に出てきそうなルックスの人がいるんだ、と驚いたくらいだ。私の野球選手のイメージといえば「がんばれタブチくん」とか掛布選手だったから。
■それでもWBCの二連覇は日本人として誇らしい。そして、週刊誌などで「もう歳」みたいな書かれ方をされていたイチロー選手が、最後の最後で勝利を決めたのは、勇気づけられた。野球に興味のない私でさえ、ついつい外国人に自慢してしまう。
■ところで、イチロー選手というのは、以前は天才肌だけどプライドも高くクールな人だと思っていた。記者の質問にもひややかだったり、傲慢だという人もいる。でも最近印象を変えている。こんな話を聞かされたからだ。
■私が某政府高官の自宅に夜回りにいったときのこと。お茶請けにシアトル産のチョコレートが出された。夫人によると、そのチョコは、シアトルの日本総領事館に駐在する政府高官の後輩の警察官僚から贈られてきたもので、それには「人の縁とは本当に不思議なものです」という書き出しではじまる綺麗な字の手紙が添えられていた。
■その警察官僚は、シアトルのホテルの一室でひとり、ひっそり息を引き取った、ある老人の身元確認と遺体の搬送手続きを担当したときのことを手紙に書いていた。
■その老人(73)はがんを患い、何度も手術をして余命いくばくもないと言われていたそうである。だがイチロー選手の大ファンで死ぬまでに一度でいいからマリナーズの試合を現地でみたいと、ひとりシアトルにやってきた。そしてシーズン最後の試合を見たあと、本当にホテルで急死したのだった。
■老人のシアトルまでのひとり旅の目的が達成されたことに奇妙な感動を覚えた警察官僚はその話を妻にした。妻は行きつけの美容院で店長にその話をした。その美容院がたまたまイチロー夫人の行きつけの店で、店長がイチロー夫人にその話をした。イチロー夫人がイチロー選手にその話をした。
そして、イチロー選手から警察官僚に、その老人の遺族と連絡を取りたいという問い合わせがあった。警察官僚が、改めてその老人の遺族と連絡をとると、偶然にもその老人の甥っ子が、警察官僚のかつての上司だったという。その後、イチロー選手から、老人の息子さんあてに、老人が見たシーズン最後の試合でイチロー選手が使ったスパイクが送られてきたそうだ。
■だから?と言われればそれまでの話のなのだが、ああ、クールに見えるけれどイチロー選手って人とのささやかな出会いとか縁とか本当に大切にする人なんだなあ、と思った。そして、警察官僚というと刑事ドラマじゃたいてい出世欲の塊の仇役で出てくる冷たいイメージだけれど、そんなささやかな人との関わりの感動を桜もようの便せんにしたためて、先輩に伝えてくる。
その政府高官といえば、やはり週刊誌では諸悪の根元みたいな書かれっぷりだが、そういう他愛もない話を手紙をみせながらしみじみと記者に話すような人である。
■輝かしい業績や高い地位にではなく、むしろ、他人が知らないような、こんな小さなあたたかさをかいま見たとき、私はみょうにじーんときたりする。
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