少し暖かくなると、今年も秋までは生きれるとボンヤリ思う日々が多い。77歳の喜寿を超えたこともあるが、五年前に血液のガンである骨髄腫の告知を受けて、余命は三年から五年と知ったことがある。
ジャーナリスト仲間の多くは、すでにこの世を去った。私たち昭和ヒトケタ世代は、伸び盛りの少年期には食糧難でロクなものを食っていない。それがジャーナリストになって贅沢なものをタップリ食べることが出来た。身体にいい筈がない。
50キロそこそこのガリガリ亡者の身体が、いつの間にか80キロを越すデブになってしまった。腹を突きだして国会の赤絨毯を歩く身になってしまっている。定年55歳の時代だったから、同じ様な体型の先輩記者たちが60歳前後に相次いで亡くなっている。
自分もそういう身だと覚悟はしていた。だが可愛い二人の娘の結婚式だけは見届けたいと酒を飲む度に思ったものである。その長女も来年は50歳、次女も45歳は軽く越えた筈である。骨髄腫の告知を受けた時には、父親としての勤めは終わっていると、むしろ平穏な気持ちでいることが出来た。
私の好きな女優の小林千登勢さんは2003年11月に多発性骨髄腫で亡くなっている。6年前に骨髄腫の疑いを持たれ、3年後に正式に骨髄腫の告知を受けている。それでも女優業を続けながら病気と闘い続けていた。見事な覚悟だと思う。
多発性骨髄腫は多くの臓器に影響を与えるため様々な徴候が発生する。高カルシウム血症(Calcium)、腎障害(腎不全)(Renal failure)、貧血(Anemia)、骨の損傷(Bone lesions)など。発性骨髄腫に侵された骨をレントゲン撮影すると、骨に穴が開いているように見えるという。
毎月のように腎臓内科と血液内科の医師から病気の進行状況を検査されている。だが不思議なことに5年前の症状が一向進んでいない。どうせ3年から5年の余命だと観念しているので、タバコは吸い放題、酒も平気で飲んでいる。ただ感染症に罹りやすい身体になってしまったので、外出は極力控えている。ガンを押さえる投薬もしていない。
骨髄腫は黒人には多いが、白人には少ないという。黄色人種の私たちには多い病気なのかもしれない。米国の医学界は効率主義が徹底しているので、白人に少ない骨髄腫の治療方法が進んでいないという説を聞いたことがある。
4月になると7日が腎臓内科、9日が血液内科の診療日となっている。骨が痛くなる症状がまだ出ていないので、二人の医師が首を傾げると思うと若干痛快な気持ちになる。私の身体は特異体質なのかもしれない。まあ、生きれるだけ生きようと不敵な開き直りに徹している。
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コメント
古沢襄さま、以前もここでご自身の病状について書かれておられた記事へコメントをさせていただいた記憶がございます。小生の父は69歳で逝去いたしました。病状が発覚して6年後の事でした。
この骨髄腫、非常に個人差が大きく、父の場合は病気との相性が悪かったようです。これは、患者の会などの関係者会合で見聞きした経験からの推測ですが、古沢さまの場合は体調管理次第で病気と上手く付き合っていけるパターンではなかろうかと思います。古沢さまの気持ちの持ち方でいいと思います。
古沢さまのご健勝とご活躍を切にお祈り申し上げます。
有り難うございます。偶然ですが、ご近所の奥さんも骨髄腫でした。犬の散歩で知り合った方ですが、ほぼ同時期に発症、毎月、治療を受けているそうです。
この方も五年を経過しましたが、症状が進んでいないと言っておいでです。お説のように骨髄腫には個人差がある様に思います。
ご懇切に有り難うございます。お父上が69歳で亡くなられたと伺い、胸が締め付けられる思いです。発症後六年目の死というのは、63歳の告知ですね。
私は72歳の時の告知。やはり高齢になるとガンの進行が遅いということもあるかもしれません。