3116 生きてたら園田直 渡部亮次郎

今日4月2日が命日の園田直(そのだ すなお)さんは背はあまり高くないが大変なハンサムだった。しかし小心だった。柔道3段、剣道7段、居合道8段、合気道8段、空手5段、これだけでも計31段の「猛者」だが、小心で、実は女性を口説けなかった。
注射を怖がった。だからインスリンの注射を怖がった。衆院議員に当選した直後あたりから遺伝による2型糖尿病を発症。しかし当時は皆がそうであったように糖尿病を「貫禄病」ぐらいに軽く考え、対策を根本的に講じなかった。
衆院議員としては厚生大臣を2度も経験。2度目の1981年には患団体からの要望久しかったインスリンの自己注射を始めて認可すると言う歴史に残る大英断をしながら、自身、30台から苦しめられてきた糖尿病でありながら痛いのが嫌いで注射から逃げ回った。
それが命取りとなって遂には全盲となり、腎臓がカチカチの腎不全で、70歳の若さで1984年4月2日に死んだ。
<1921年には、カナダの整形外科医フレデリック・バンティング(Frederick Banting)と医学生チャールズ・ベスト(Charles Best)が研究室でインスリンの抽出に成功した。
1922年1月11日、当時14歳であった1型糖尿病患者に世界で初めてインスリンの投与が行われた。バートラム・コリップは、それから12日間投与量などの改善に日夜努力し、23日に再び投与が行われた。 今度は副作用を引き起こすこともなく、糖尿病の症状を取り除くことにも成功した。
しかしながら、バンティングとベストはコリップを一種の闖入者と見なしたようで不和を生じたため、その後すぐにコリップは去って行った。1922年の春が過ぎ、ベストは大量の需要にも応えられるように抽出技術を工夫したが、精製はまるで未熟であった。
1921年の発表の直後、イーライリリー社から、彼らは支援の申し出を受けており、4月にこの申し出を受けた。11月にリリー社は技術の革新に成功し、非常に純粋なインスリンの生産に成功した。このインスリンは、アイレチンという名ですぐ市場に出された。
インスリンについては4人が、ノーベル賞を受賞している。インスリンを発見したバンティングとマクラウドが1923年に賞を受賞。その後も、1958年にタンパク質の中で世界で初めてインスリンのアミノ酸構造を解明したフレデリック・サンガー (Frederick Sanger) が、1964年にドロシー・ホジキン (Dorothy Crowfoot Hodgkin)がそれぞれノーベル賞を受賞している>。(ウイキ)
そうやって死んだ直さんだったが、今生きていれば安陪晋三元総理大臣のことを何と評価しただろうか。おそらく「論評に値しない」と言ったと思う。
それは祖父の岸信介氏、その女婿の安倍晋太郎氏に悉く先を阻まれた恨みだけではなかったろうと思う。貫禄の無さ、政治の読みの浅さなど、政治家の資格から見て未熟すぎる歯軋りのような評価をするとおもうからである。
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