3165 ”遊び人”の張成沢と金容淳 古沢襄

北朝鮮の張成沢がクローズ・アップされているが、レーガン政権時代に華々しく登場した北朝鮮外交官・金容淳と二重写しになって見える。
1934年生まれの金容淳は地方官僚からノシ上がった朝鮮労働党員だが、金正日の妹・金敬姫の取り巻きの一人でもある。1994年に金日成死亡後、金正日擁立に決定的な役割を果たして、一躍、金正日側近となった。
派手で華麗な金容淳は西側外交官からも好感をもって迎えられ、金正日と直接会話ができる人物といわれていた。もっとも、そのスタイルが金日成から嫌われ、1980年代半ばには労働党本部で西洋式ダンスパーテイーを催したのを”退廃的”と咎められて、炭坑の強制労働に追放された。張成沢と同様に浮き沈みの多い人物だった。
金容淳も張成沢も”遊び人”といわれた。コチコチの儒教・共産主義国家だからダンスパーテイーひとつをとっても、退廃的と指弾されてしまう。しかし外交官にとっては、ダンスパーテイーもトランプ遊びも交渉術のひとつ。
金敬姫が後見人となっている金正男は海外経験が長く、英語、フランス語、中国語など各国語に堪能なことから”遊び人”に数えられている。金正日の周辺には”遊び人”が多い。だが日本でいう”遊び人”と同一視するのは短絡的ではないか。
金容淳は歌を上手に歌い、踊りも上手く、酒をよく飲む社交的な人物だった。私生活では金正日と息がぴったり合う人物で、”喜び組”のパーティーにはほとんど毎回出席する得意客だったいう。金正日と酒の席をともにする人々のなかで、酒豪といわれたのは張成沢、金容淳、桂応泰、金基南といわれた。
また自民党の野中広務氏の北朝鮮ルートは金容淳ともいわれていた。
その金容淳が2003年10月26日に69歳で死亡している。北朝鮮の中央放送によると金容淳は6月16日に発生した交通事故で長期間入院していたのだが、最期まで回復できずに亡くなったとされている。その死には謎が多い。
<金敬姫(キム・ギョンヒ、1946年 – )は、北朝鮮の朝鮮労働党軽工業部部長、朝鮮労働党中央委員会委員。金慶喜、金景姫とも表記する。金日成と金正淑の間に生まれる。金正日の同母妹。
次兄の金万一が溺死したこともあってか、兄の金正日からは溺愛されているといわれている。夫は張成沢で金日成総合大学で共に経済学を学んだ事から知り合った。一時期父の金日成に彼は遠ざけられたが、金正日の取り成し等で結婚した。(ウイキペデイア)>
<[ソウル 10日 ロイター] 北朝鮮で9日開かれた最高人民会議(国会に相当)は、金正日(キムジョンイル)総書記を事実上の国家元首にあたる国防委員長に再選出し、金総書記の義弟である朝鮮労働党の張成沢(チャン・ソンテク)部長を初めて国防委員に選出した。
これについて、アナリストの間では10日、健康問題への懸念が根強く残る金総書記が、張部長を「キングメーカー」的な立場に押し上げたとの指摘が出ている。
経済問題に強い張氏は、金総書記が急に死去した場合の後継候補筆頭とみられているほか、金総書記が3人の息子の誰かを後継者とした場合の「後見人」になるとも考えられている。
国防委員に初めて選出された張氏は63歳と、今回の最高人民会議で金委員長以下13人に拡大された委員会の中で最も若い。(ロイター)>
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