北朝鮮の核開発がクローズ・アップされているが、その初期において日本の大学で学んだ朝鮮の科学者たちが主導的な役割を果たしたことが、日本ではあまり知られていない。たとえば北朝鮮の“核開発の父”といわれる李升基(リスンギ)は、日本では科学繊維・ビナロンの発明者として知られている。
北朝鮮に渡った後の研究生活が秘密のヴェールに包まれていたからである。1996年、李升基博士が死亡した時、金正日総書記は葬儀を国葬とし、故人を愛国烈士陵にあつく葬った。ビナロンの発明者だけであったら、このような手厚い国葬はなかった筈である。
1905年に生まれ李升基は、戦時中に京都帝国大学工学部教授だったが、治安維持法違反で大阪憲兵隊に検挙されている。敗戦後、釈放された李升基はソウル大学校の工科大学学長になった。朝鮮戦争後に北朝鮮に逃れている。
韓国筋では朝鮮人民軍偵察局によって拉致されたとしているが、戦時中に治安維持法違反で大阪憲兵隊に検挙された事実を考慮すると、軍事政権下の韓国よりも金日成の社会主義国家に魅力を感じていたのではないか。1967年に寧辺原子力研究所長に就任している。
このほぼ同じ時期に北朝鮮に逃れた科学者に都相禄(トサンロク)がいる。北朝鮮の核実験基盤作った科学者といわれている。都相禄は東京大学で勉強した物理学者。1945年にソウル大で教授に在職していたが、1946年に北朝鮮へ渡り金日成総合大学で教べんをとる一方で、核分離加速実験装置を開発した。
また早稲田大学理工学部を出た呂慶九(リョキョング)は科学院化学研究所長、最高人民会議代議員を歴任したロケット研究者である。丁根(チョングン)は京都帝国大学、モスクワ大学を出た核物理学者。原子炉に関する研究論文が多い。
日本の大学を卒業した四人の科学者の指導によって、北朝鮮の核開発が進められてきた。北朝鮮の原子力研究のメッカは寧辺に集中している。原子力研究所、放射化学研究所、核燃料棒製造所などである。
その一方で、北朝鮮の再処理施設は寧辺ではなく、その南西にある博川(パクチョン)の山中の地下施設といわれている。山腹にトンネルを掘って、空爆に耐えられる地下施設が完成しているという。博川にはウラン鉱石の製錬施設がある。
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3171 北朝鮮の“核開発の父”李升基 古沢襄

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