私は石川遼が予選落ちしてホッとしている。スポーツマスコミだけならまだしも、テレビ、新聞までもが暇さえあれば「石川遼君」騒ぎであった。あのような報道は即刻止めて貰いたい。
我が国のマスコミは未成年の運動選手がでてくると必要もないのに騒ぎ立てる。視聴率稼ぎか紙を伸ばすため「凄い」「偉い」と褒めそやし、何時か世界の大選手となって恰も国威を発揚するかのような騒ぎをする。
古くは福原愛であり、近頃の例では斉藤何とか王子であり、浅田真央であり、石川遼である。確かに10歳代で世界に出ていくことは偉業だろうし、賞賛したくもなるだろう、その輝く未来にも期待できるかも知れない。
だからと言って彼らを褒めそやし、煽てまくり、何かと言えばポピュリズムの代表である記者に取り囲ませて、愚にもつかない質問を繰り返し、子供を思い上がらせた上で、結果として親までのぼせ上がらせてどうするのだ。
親は贔屓目と欲目で見るから自分の子供の真の素質の見極めは難しいのだが、コーチや監督という仕事をしている人たちには解るのだ。だからこそ、これぞと思う子は本気で育てようと取り組むものだ。良い例が北島康介と平井コーチの例だ。
今回の石川の例などはすでに週刊新潮が1~2度採り上げて、その父親の勘違い振りをこれでもかとばかりに特集していた。当方は未成年のゴルフ・プレーヤーに多くの大企業が群がって何億円ものスポンサー料を提供するとあっては、逆上せ上がるのは時間の問題だと危惧していたが、果たしてその通りとなった。
自慢ではないが、当方も会社リタイヤー後の95~96年にかけてはかなりの回数「日米企業社会における文化の違い」の講演を業界団体、企業、さらには大学等でもさせていただいたものだった。
こういう身に余る機会を与えられて、当初は夢中であったので自覚できなかった。だが、行く先々で「先生」と呼んでいただき、鞄を持っていただき、エレベーターでは降りる階の回数のボタンを押していただいた。
目的地の新幹線の駅で「XX先生」と書いた看板を持つ方のお出迎えを受け、現地に到着すれば控え室に恭しくご案内されれば、「俺も一寸したものだったかな?」と思ってしまいそうな危険が迫ってきた。
幸いにして、その頃はすでに62歳を過ぎており、世の中がそれほど自分如き者に優しいものではないと承知していたので、「お前は今自分を見失う危険水域に入った。これまでのお前の人生が今の扱いに相応しいか良く考えて対処せよ」と言い聞かせて、懸命に自制していた。だが、恐ろしかった。
スポーツしか知らない中学か高校の子供がこれと似たような扱いを受ければ舞い上がっても不思議はないし、精々40歳代くらいの親御さん達までともに天に昇ってもおかしくないだろう。
私は、あの石川親子に起きている現象は、あの一家の責任も兎も角、何とか営業成績を挙げたいマスコミの責任が大きいと断じたい。
予選落ちした石川は健気にも「また何時かマスターズに来たい」と言っていたが、彼が3日目現在で初めてまともにゴルフが出来ている本当のプロの片山のような地位に来るまで後何年かかかるかを考えてみよ。
確かに石川君には素質をあるし、年齢不相応な技術もある。私がよく言うことだが、その子供の頃の素質が20歳を過ぎても永遠に伸びていくことなどないのだ。
伸びるかどうかは本人の心掛けと素質もあるが、コーチや周囲の環境にも大きな影響を受ける。これまで彼らマスコミが騒ぎ立てて本当に彼らが好む「世界に大選手」に育った者が何人いたか。福原愛などは今や24歳と年上の平野早矢香よりも下であると断定した新聞もあったではないか。
マスコミよ、もう好い加減に子供を持ち上げて空騒ぎをするのを止めたらどうだ。あれは折角の素材を潰す危険性が高く、また罪なき一般人を惑わす以外に何の効果もなく、少なくとも我が家での視聴率を落としているだけだ。
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3181 石川遼の予選落ちに安堵 前田正晶
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