3200 平沼赳夫のテレビ批判 岩見隆夫

衆院選が近づくと、政治が頻繁に画面に登場する。政治家はテレビとどう付き合い、テレビ側は政治をいかに料理するか。
06年9月、ある事件が起きた。TBS系列の深夜政治トーク番組<アサ(秘)ジャーナル>最終回スペシャルの録画撮りが行われた時だ。
多くの政治家が出演したが、その一人、平沼赳夫元経済産業相は、番組司会役の漫才コンビ、浅草キッドのほかに、参院議員の山本一太(自民党)、荒井広幸(無所属)の2人がタキシードを着込み司会席にいるのを見て驚く。
まるでテレビタレントじゃないか、と我慢がならず、平沼は近づくなり、大声で、「君たちは何をやっているのだ。そんなことをしていると抹殺するぞ」
と怒鳴った。ちょっとした騒ぎになる。山本はこのてん末をブログに書き、<恫喝(どうかつ)された>と反論したことから、事件として永田町に広がったのだ。
テレビと政治、というテーマを考えるうえで、一つの素材を提供している。テレビと付き合う場合、どこに線を引くか、節度といってもいい。テレビ側の見識も問われる。
平沼は新著「七人の政治家の七つの大罪」(講談社)のなかで、この一件につき、
<確かに、抹殺という言葉は穏やかでなかったかもしれない。だが、彼らの態度は見逃すにはあまりにも軽薄で、陳腐なものだった。
私が怒ったのは、メディアへのスタンスに対してである。彼らが政治家ではなく、政治屋として、喜々としてテレビで騒いでいることだったのだ>と手厳しく非難した。
日本テレビ系列の番組<太田光の私が総理大臣になったら……秘書田中。>についても、平沼は、
<総理に扮(ふん)して政治を語るのは、お笑いタレントの範疇(はんちゅう)を逸脱したものではないか。まして、政治家が出演し、設定上のこととはいえ、お笑いタレントを「総理」と呼ぶなど論外だろう。人気ほしさに自分自身で政治家の存在を軽くしてしまっているのだ>
と番組、政治家の双方を批判している。また、テレビ朝日系列の<ビートたけしのTVタックル>は、政治をちゃかすような内容、<朝まで生テレビ!>も、自分の言いたいことが主張しきれない、と平沼は否定的な評価をした。出演依頼も断ってきたという。
政治の動向がテレビに大きく左右されるテレポリティクスの時代に入っているからこそ、政治番組の質はたえず吟味されなければならない。その点、平沼の指摘は、実力政治家の警鐘として傾聴に値する。
ただ、平沼によるテレビ批判の背景には、郵政民営化で切り結んだ政敵、小泉純一郎元首相への根深い反発がある。同書でも、小泉のポピュリズム政治を痛烈に批判したあと、
<小泉内閣の発足以降、政治をバラエティーとして扱う番組が数多く目につく。それだけ視聴者のニーズがあるのだろうが、いい傾向ではない>とした。<七つの大罪>の筆頭にも小泉の郵政民営化をあげている。
だが、小泉はテレビという媒体を十二分に使いこなすことによって長期政権を実現させた最初の首相だった。小泉の手法をこれからのリーダーは参考にせざるを得ない。
そのことと政治番組のバラエティー化、低俗化は無縁ではないだろうが、同列ではないと思われる。分けて考えた方がいい。(敬称略)
杜父魚ブログの全記事・索引リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました